特集

「本のからだ 本のかお」~よこはま 本への旅~
ツブヤ大学BooK学科ヨコハマ講座:2限目
装丁家の矢萩多聞さんをお迎えして

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■サンダルのおじさんとインド好き少年の出会い

三浦 矢萩多聞さんには、春風社の立ち上げ当初から装丁をお願いしていましたが、こうして改めて話すのは、初めてですね。これまで250冊くらい装丁を手がけてこられました。日本を代表する装丁家と言っていいでしょう。

矢萩 いえいえそんな。私はそもそも本に関わることも、あまりなかった人間です。三浦さんとこうしてお仕事させてもらっているのは、家が近所だったことがきっかけですね。横浜の保土ヶ谷近くで、私の実家は、インド雑貨店でした。歩いて10分くらいのところに三浦さんの自宅がありました。春風社は創業当時、三浦さんの家を事務所にしていて、いつも三浦さんが社員のまかないを作るために、スーパーに買い出しに行ってたそうです。ネギを下げてサンダルで、プラプラ歩いて来るおじさんが、うちの雑貨店にやってくる。また来たな、という感じでした。(笑)。

三浦 お互いインドが好きで、インドの話や本の話をしている中で、「本作らないか?」という話を持ちかけました。多聞さんが19歳くらいの頃ですね。
このまだ19歳の、少年というか青年というかといった年頃の多聞さんの話がとにかく面白いので、対談本を作ってみないかと提案し、当時多聞さんが面白いと感じている人と対談してもらって、本にまとめることになりました。出来た本が、対談集「インド・まるごと多聞典」。多聞さんは14歳から、画家として個展をしてきていました。画家だから、ブックデザインもやってみないかということで、装丁のお願いをしてみました。

矢萩 普通、出版社にはそういう人はいないと思います。「絵を描ける」ということと、「装丁が出来る」ということは全く別の話。だけど「インド・まるごと多聞典」ということで、「まるごと」だから「まるごと本も作ってみないか」と、丸め込まれました。
その時は装丁のことも、印刷も紙のことも何も知らず、本当に三浦さんや印刷屋さんに教わりながら作っていった覚えがあります。この本の絵は、見返しから始まって表紙、裏表紙へと、ぐるっと描かれていますが、実際は2メートルくらいある絵です。

■初めての本、帯は谷川俊太郎さん

矢萩 本の中ではインドのミュージシャンや映画監督、インドが好きな日本人などと対談していますが、売る時に多くの人に目をむけてもらえる要素がない。「誰か有名人の推薦文が帯にほしいね」という話になり、やみくもに100人くらいリストアップしました(笑)。小学校時代の恩師との対談で、谷川俊太郎さんの「生きる」という詩の授業の話が出たので、「俊太郎さん、推薦文くれないかな」という話になり、お願いのラブレターを書きました。ゲラに添えて送って、『だめもと』でした。

三浦 薄い封筒の返信がきて「やっぱりだめだ、断りの手紙だ」と思ったら、推薦文でした。「字を読んでるんだけど、顔が見える、声が聞こえる、体温を感じる、自分もその場にいるみたい。こんなに生き生きした言葉、久しぶりだ。」ありがたいほめ言葉、万歳三唱でしたね。

矢萩 大体、帯を付けた状態だと私の名前は出ていないので、まるで谷川さんの本に見える。それをちょっと狙っていたりして(笑)。これが私の装丁、第1冊目です。ただ、装丁といっても『どの紙を使おうか』『どの絵を使おうか』とか、その程度でした。
そこから何冊か作っていく中で、モノを作るのは好きだけど、デザインや印刷といった装丁の知識がないので、1冊1冊作りながら勉強していった感じです。実験的に、作ってみないとわからない、という状態でした。そんな駆け出しの装丁家を、三浦さんはよく許してくれたなと思います。

春風社

Tamonolog(矢萩多聞ブログ)

「インド・まるごと多聞典」

■「本作りの魂」を教えてくれた名編集者

矢萩 次の大きな出会いとして、ヤスケンさんの本があります。安原顯さん、昭和の名編集者です。

三浦 私は春風社立ち上げ前、出版社勤めの時に、既に名編集者として名を馳せていた安原さん主宰の創作学校に通っていました。編集のノウハウ、心を教わった、編集の師匠であり、恩師です。肺ガンで亡くなりましたが、晩年2冊の本を春風社で出版しました。

矢萩 末期ガンで、死期を宣告されていた数カ月間に、何冊も本を作っておられました。既にいい本をいっぱい作ってこられて、編集者として一級の人だったけれど、その姿を見た時に、『今までの自分のお小遣い稼ぎのような本作りではいけないな』と思いました。
それまで装丁する時に考えていたのは、本屋さんである程度目立てばいいとか、ちょっときれいなカバーで見た目が良ければいい、というようなことでした。

 でもそうではなく、もっとこう、人の命がかかっているというか。安原さんの自宅に打ち合わせに何度か行って、行く度に具合が悪くなっていく。手がむくんできて、ペンも持てなくなり、キーボードも叩けない。それでもボールペンを握って、そのペン先でキーボードを押しながら、校正している姿を見て、思うところがありました。そうしてまでもいい本を作りたい、というエネルギーがすごいのです。その熱さにまわりの人が巻き込まれていく。僕も担当編集者も三浦さんも、周りの人が1冊の本でわーっと巻き込まれて動いていく。そういう貴重な体験をさせてもらいました。

三浦 創作学校では毎回近い距離で大声で、「何で『私は』って書くんだよ、日本語は主語が無くても意味が通るんだよ!」といった感じで、すごい勢いで指導されました。初めはきつかったですが「ああ、本を作る気合いってこういうものなのだな」と思うようになりました。最後の本を作る時にも、そういう風な気合いが出ていたのだと思います。
そうやって作った本の一冊が「ハラに染みるぜ! 天才ジャズ本」です。この本は、漫画家のしりあがり寿さんのイラストで、安原さん本人がとても喜ばれました。

矢萩 「乱読すれど乱心せず」は安原さん最後の1冊です。あとがきはもうペンでキーボードを押すことも出来ず、録音テープできました。安原さんへの手紙というイメージも込めて、簡易フランス装という造本の仕方で、本の中には手紙のように、一緒に仕事をしてきた人達からの応援メッセージを挟みました。思い入れのある、特別な1冊です。
 本を作っているとこうした、編集者や著者など、作っている本人の「熱」というものがあります。実際にその本人に会ってみないとわからないものがありますが、本の装丁をする時には、そのイメージをいかすようにしています。本当は会ってみないとわからないことを、装丁で手にしてもらった時に伝わるといいなと、意識しています。

「ハラに染みるぜ! 天才ジャズ本」

「乱読すれど乱心せず-ヤスケンがえらぶ名作50選」

■誰が読むのかを考えたデザイン

矢萩 大抵の人は装丁と言うと、カバーをデザインしていると思われますが、実は本の中身も色々デザインしています。カバー、表紙、めくった見返し、本扉、写真のレイアウト、目次。それから本文にどういう文字を使うか、どのくらいの行間にするか。ハードカバーの場合だと、花切れ、スピン(しおり)をどういう紙や色にするかなど、そういったことを考えるのが装丁家の仕事です。

 カバーだけで考えると平面ですが、本は手にとって読むものですから、手に表紙がどういう感じで触れるかとか、指が紙の中にどういう風に入っていくのか、めくっていく時の紙の質感はどうか……そういうものを全部想像しながら作っていくという仕事です。常に「この本を誰が読むのかな」と考えながら作っています。小さい文字で作る本もあれば、多くの人に読んでもらいたいから、読みやすいように大きい文字にしてみたりと。

三浦 多聞さんの装丁は一概には言えませんが、「手触り感」を大事にしているというか、よくデコボコしてたり、ざらっとしていたりしますよね。

矢萩 つるっとしてるモノが少ないですよね。みんなこの話すると「えっ?」て驚きますが、私は実は本が好きではないのです。子どもの頃からあまり好きじゃない。

三浦 それは私もです(笑)。外で遊び回っている子どもだったので。

矢萩 何か本にやたらと冷たいイメージがありました。文字が規則正しく並んでいて、紙が白くて表紙がつるっとしていて、図書館だと特にカバーリングされているし、文庫でもそうですよね。だから本の温かい感じがずっとわからなかったけれど、この仕事を始めてから色々な紙の見本を見て、「こんな手触りの本作りたいな」とか「こういう手触りだったら読めるかな」だとか、「自分が読んでいてつらくない」というのがひとつの基準になっています。本当にいい手触りの本がバチっと決まって出来た時には、枕元に置いて寝ますね。撫でて寝たい、そういう気持ちになります。感触というのは凄く大事にしています。

■これからの本作り

矢萩 私が手がけた一番最近の本は、しりあがり寿さんのイラストエッセイ、「みらいのゆくすえ」です。しりあがりさんから「あまりデザインに凝らないで欲しい」というリクエストを受けました。しかし丁寧に力を抜いた感じを出していくと、わざとらしくなってしまいます。例えば安っぽいモノと安いモノは違います。安っぽさを出すために、高い紙を使わなくてはならないこともあるわけです。今は全部コンピュータを使ってデザインするので、どうしても綺麗な仕上がりになってしまいます。それにも関わらず、いかに「手で適当に作りました」というような「手作り感」を出していくかというのは、結構面倒な仕事です。

 実はこの本は、最初から汚れています。読んだ時につく手垢を再現しました。日本人は、本に対して潔癖なところがあると思います。本屋さんではカバーをかけてもらうし、積まれている本の上から2、3冊目を買ってしまいますよね。


 けれどもインドでは、本は結構ぞんざいな扱いで、埃を被って古本だか新書だかわからない本を皆買っています。一方でインド人は電卓などの電化製品や、新車のシートなどに、ビニールをかけたまま大事に使用します。日本からすれば、それが面白く感じられますが、逆に日本人が本を過剰に綺麗に取り扱うことも、他の国から見れば可笑しいことかもしれません。そこで「もう最初から汚れていればいいのではないか」と作ったのが、この本です。帯には「カバーについたシミのようなものは、デザイン上の意匠であり汚れではありません」と、但し書きが入っています(笑)。

 本棚に眠らせておいて、時々手にとって眺めてニヤッとする、そんな本も好きですが、やっぱり手に馴染んで多少汚れてもいい、そういう本を作りたいというのが、今年から来年、これからの本の作り方かなと思っています。それというのも、今年は東日本大震災があったからです。去年は「電子書籍元年」などと浮かれたものでしたが、地震が起こって計画停電などがあり、「電子書籍って何て頼りないものなのだろう」と思いました。曲げられる、放り込める、汚すことが出来る、紙の本の持っている力というものがあります。これまでは何か変わったモノを作ろうという凝った部分がありましたが、今は素朴で手に馴染む感じ、時々生活の中でパラッと見て元気になる、そういう感じの本を作りたいと考えています。

 来年の3月に刊行予定の「ことばのポトラック」は、震災後に詩人や歌人が集まって、渋谷のSARAVAH東京(サラヴァ東京)で開催してきた会の本です。この1年の内容をひとつにまとめた形で、春風社から出版されます。今打ち合わせ中なのですが、このイベントに参加している佐々木幹郎さんも同じようなことを言っていて、「外国のペーパーバックみたいな、ソフトカバーもついていないみたいな本にして欲しい。仮設住宅で本棚が無いようなところに持って行って、鍋敷きにでもして、ふとした時に手に取ってパラッと読んで、何か心に入ってくるモノがあって、また生活に戻っていく。そんな本でいい。でもそれで100年保つ本を作って欲しい」というお題を頂いてしまいました。

三浦 先日、神田の古書店オーナー・橋口侯之介さんの「和本への招待」という本を読んだのですが、その中で橋口さんは、源氏物語が生まれた11世紀、同じ頃に物語の器としての和紙が作られたという話をしています。同時期に生まれた、千年保つ紙と、そこに書かれた千年読み継がれてきた物語。この本を読んで、物語の中身とその器としての紙・本というものは、表裏一体の関係なのではないかと思いました。
「ことばのポトラック」を100年読み継がれていく本にしようと作る時に、それがどんな器なのかと考えると、必ずしも電気仕掛けの最先端のモノではないかもしれないな、と思います。

矢萩 コンセプトをかっちり打ち出した装丁の本と、しりあがり寿さんの本のようなふわっとしたイメージの本、どちらが100年後に残っているのかもわかりません。そういう風に考えを巡らせると、ますます本作りは面白くなっていくと思います。

「みらいのゆくすえ」

ことばのポトラック(ブログ)

SARAVAH東京

「和本への招待 日本人と書物の歴史」

 「いい大人や正しい大人という存在は子どもながらに信用出来ないもので、三浦さんがデタラメな大人だったのはよかったことでした。何においても正しすぎては良くなくて、本のデザインも人それぞれ。感覚は結構デタラメなもので、それでいいのです」と語る矢萩さん。一方その話を受けて、5歳ぐらいの矢萩さんが、黒い表紙のスケッチブックに自身の耳垢を貼り付けていた、という装丁のルーツ(?)を思い出した三浦さん。大幅に延長した中継でも語り尽くせぬお2人の本作りの話は、第2弾の企画を期待させます。

 実際に装丁を考えていった時のラフ案の流れを、スライドショーで披露して下さった矢萩さん。装丁家の方がそこまで手の内を見せて下さる機会は、なかなかありません。どういう意図でデザインされた本なのか-作り手の意図を探りながら、本を手に取る楽しみが広がる、そんな対談でした。

 次回12月21日20時からの「ツブヤ大学BooK学科ヨコハマ講座3限目」は、作家の山崎洋子さんをお迎えしてUstream中継を行います。聞き手は今回と同じく、三浦衛さんです。
ツブヤ大学

矢萩多聞(やはぎ・たもん)
1980年、横浜に生まれる。 1990年、9歳のとき、はじめてネパールを訪れてから、毎年インド・ネパールを旅する。中学1年生で学校に行くのを辞め、ペンによる細密画を描きはじめる。95年から、南インドと日本を半年ごとに往復し、日本帰国時に、銀座、横浜などで個展を開催する。
2000年、日印ポータルサイト「Indo.to」をオープン。運営・編集・デザインをてがけ、日印交流イベントを多く企画する。2002年、対談本『イン ド・まるごと多聞典』(春風社)を刊行。同年秋、SII社のデザインウォッチ「SPICE」シリーズに絵とフォントを提供。このころから、本の装丁の仕事をはじめる。
2007年、デザイン事務所「Am Creation」を旗揚げ。2008年、バンガロールのアトリエをキープしながら、事務所兼自宅を横浜・妙蓮寺に移転。
装丁、ペン画のほか、エディトリアル、フライヤー、名刺のデザイン、イベント企画など多岐に渡って活動をくり広げている。


Tamonolog(矢萩多聞ブログ)

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阿久津李枝+ ヨコハマ経済新聞編集部

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