特集

リノベーションでアート&ショップへ
甦る港の賑わい「赤レンガ倉庫」今昔

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■コンセプトは『ヨコハマTRIVE』

港町・横浜の交易や物流の拠点であった赤レンガ倉庫は2002年4月に保存・改修工事が終わり、文化・商業施設としてリニューアルオープンした。1 号館は文化的なテナントや展示等に利用できる多目的スペース、300人規模のホールなどが整備され、舞台芸術やコンサートなどのアートイベントが催されている。2号館にはオープンカフェなどの飲食や雑貨、家具やインテリア、レストランなど32店舗が入居し、重厚感のある建物のなかでのショッピングが人気を呼んでいる。当初は年間300万人の利用を目標にしていたが、オープンからわずか1ヶ月間で来館者数は100万人を突破、初年度の総利用者数は2号館だけで680万人を超えた。売上高も約48億円に上り、ベイエリアの回遊の拠点として見事なスタートを切った赤レンガ倉庫の歴史を紐解き、その魅力の秘密に迫っていきたい。

2002年度は予想を大幅に上回る来客数と売上高を達成し、ベイエリア全体の来訪者数増加に大きく貢献した。実際に2002年度のみなとみらい地区の来訪者は4100万人と前年に比べて500万人もの増加。近接する横浜ワールドポーターズの売上も上昇したことから、みなとみらい地区からワールドポーターズや赤レンガ倉庫など中華街方面への人の流れが増加したことが伺える。2003年度は丸ビルや六本木ヒルズがオープンし、開業効果が薄れたこともあり来場者・売上ともに減少したものの、今年に入ってからはアクセス面での追い風が吹いている。2月にみなとみらい線が開通し、都内からのアクセスが格段に良くなった。3月には赤レンガパーク前に桟橋「ピア赤レンガ」が開業、横浜駅東口や山下公園などからシーバスを使っての海からのアクセスも可能になった。赤煉瓦ネットワーク・横浜の代表であり、赤レンガ倉庫のリノベーションに関わってきた仲原正治氏は「他都市では海岸は工業地帯となっているので海に近接したまちづくりを行っているのは横浜の強み。赤レンガ倉庫は24時間オールナイトで使えるなど文化創造への理解度が高い画期的な施設で、アーティストと一緒にやっていくという姿勢があり、場としての魅力は高い」と語る。株式会社横浜赤レンガが運営する2号館では、「新たな時代にヨコハマの新たな挑戦(TRY)や躍動感(LIVE)を感じる商業施設」を目指し、『ヨコハマTRIVE』をコンセプトに運営、休日にはたくさんの家族連れやカップルで賑わいを見せる。

赤レンガ倉庫

■横浜開港の歴史と赤レンガ倉庫

横浜の歴史は開港の歴史だ。1853年、ペリーの黒船が浦賀に来航、1859年に長崎、函館とともに開港した。わずか110戸の漁村にすぎなかった横浜に全国各地から商人たちが押し寄せ、人口の急増とともに埋め立てを開始、新港埠頭に赤レンガ倉庫が建設された。明治政府が国の威信をかけ、海外の最新技術を導入し、1号倉庫は1913年に、2号倉庫は1911年に竣工した。2号倉庫のみで約318万本の煉瓦を使用、全体の総工事費は当時の金額で100 万円だった。はじめは1号倉庫も2号倉庫と同規模のものであったが、関東大震災で1号倉庫が半壊し半分の大きさに縮小された。そのため今はイベント広場になっている部分の地下には1号倉庫の基礎が残ったままになっている。戦争では奇跡的に爆撃を受けず、終戦と同時に赤レンガ倉庫は米軍に接収され港湾司令部として使用された。これには戦争終結を見越した米軍の占領計画によりあえて爆撃しなかったのではないかという説もある。1970年代から貨物輸送のコンテナ化が進み山下埠頭や本牧埠頭に港湾機能が移行、徐々に貨物量が減少し1989年、ついに倉庫としての役目に終止符を打った。

■文化・商業施設へリノベーション

管理は横浜市が行っていたが所有は国であったため、大蔵省との交渉で1992年に倉庫と土地の譲渡契約を結び横浜市の所有となった。横浜市港湾局が中心となり有識者を交えた「赤レンガ倉庫保存改修検討委員会」を組織し、日本近代化のシンボルである赤レンガ倉庫を歴史的資産として保存し、市民の身近な施設として活用する方策を多角的に検討した。1994年から1999年にかけて構造補強や外装修復など保存のための工事を実施。1号倉庫は主に文化施設として、2号倉庫は商業施設、2棟の倉庫に挟まれた広場も倉庫と一体的なにぎわいの演出空間として利用するという方針になった。コンペを行い2号倉庫の事業主体が決定、キリンビール、サッポロビール、ニュートーキョーの共同出資で2000年7月に株式会社横浜赤レンガが設立、競合するビール会社が手を組んだ初のケースと話題になった。2000年から活用工事が行われ、2002年4月12日にグランドオープンした。補修・改修の総工費は両館あわせて62億円。

赤レンガ倉庫

■横浜から広がる赤煉瓦ネットワーク

赤レンガ倉庫が横浜の歴史を物語る建造物としてまちづくりに利用された背景には「赤レンガ倶楽部・横濱」の活動がある。1987年に横浜国際会議場で横浜青年会議所と横浜商工会議所が「横浜港赤レンガフォーラム」を共催、環境プランナーや建築家、雑誌編集者など多彩なパネリストが集まり意見を交換、赤レンガ倉庫が市民の脚光を浴びるきっかけとなった。このフォーラムを受けて横浜青年会議所を中心に市民による赤レンガ倉庫応援団「赤レンガ倶楽部・横濱」が設立。1989年12月1日の神奈川新聞の紙面に広告を掲載、「私たちは赤レンガ倉庫の保存・再活用の一翼を担います。」という表題とともに500 人余の市民の名前と活動の概要を記載し、貴重な文化遺産である赤レンガ倉庫が心ない人の落書きなどで荒廃している現状を訴え、倶楽部の思いを紹介。市民の赤レンガ倉庫に対する意識を高めることに貢献した。1999年に倉庫の活用主体が決定したことから役割を終え倶楽部は解散した。

横浜以外にも全国にはたくさんの赤煉瓦の建造物がある。1990年に横浜市の赤レンガ倶楽部・横濱などで構成する「赤煉瓦切り込み隊」と京都市舞鶴市の赤煉瓦倶楽部・舞鶴を中心として赤煉瓦ネットワークは設立された。全国にある赤煉瓦建造物とネットワークを結び、「赤煉瓦」をキーワードとして個性あるまちづくりの啓蒙活動及び情報交換を行っている。現在約40の団体、1500~2000人が活動に賛同している。

赤煉瓦ネットワーク

■美しさと機能性に高い評価

赤レンガ倉庫はその優れたリノベーション事業が評価され、今年2月に第13回BELCA賞のベストリフォーム部門賞を受賞した。この賞は最近の改修で画期的な活性化が図られた建築物を建築・設備維持保全推進協会(BELCA)が表彰するというもの。古い建造物をリノベーションして再活用するには劣化箇所の復旧や耐震性能の確保、文化・商業施設転換への法的整合など様々な問題を乗り越えなくてはならない。横浜赤レンガ倉庫のケースでは、歴史的建造物の雰囲気を感じられるよう配慮しながら建築基準法に適合した機能的な商業空間を確保することに成功している。活用面でも港湾倉庫から人々の交歓の場へと転進し、見事な実績を上げている。具体的に補修の面ではエレベーターや階段にガラスを使用して煉瓦壁やコルゲート天井などの内観の原型を見せる工夫や、補修用の煉瓦を中国福建省厦門(アモイ)の工場に100年前の日本と同じ方法で製造を委託して既存の煉瓦との調和を保ったこと、活用の面では1号館を文化施設として横浜市が、2号館を商業施設として民間企業が運営し初年度680万人もの利用者があったことや、みなとみらい21地区を含めた広域ベイエリアの都市デザインにおける交歓の場としての機能性など、近代建築の『美』と、建物としての『用』という両方の機能の実現に対する多方面での高い評価を受けての受賞となった。

社団法人 建築・設備維持保全推進協会(BELCA)

■『ハマの赤レンガ』今後の展望

横浜赤レンガ倉庫には、他にはない横浜ならではの「気分」がある。港の雰囲気は人々を落ち着かせてくれるし、茶色い赤煉瓦を見ていると懐かしい気持ちになる。美しい港という「場所」の力と歴史的建造物という「建物」の力は十分にある。これからはそこにいる「人」やそこで行われる「コト」の力でいかに人を集められるかが課題となるだろう。「建築された明治末期から大正初期にかけての"古き良き時代"の人々が持っていた、人間味溢れる感性」を生かし、他のスポットでは味わうことのできない価値をどれだけ作っていけるのか、2周年を迎えた赤レンガ倉庫の今後に期待したい。

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