「横浜らしさ」といわれたら、何を想像するだろうか。そんな問いへの答えを形にしようと、7年以上もコツコツと続いているプロジェクトがある。
「濱明朝(はまみんちょう)」と名付けられたフォントは、横浜の魅力や個性をデザインに取り入れることで、都市のアイデンティティー形成に役立てようと生み出された「都市フォント」だ。2009年の開港150周年を機に動き出し、今年1月~4月には地元企業を巻き込んだクラウドファンディングによる資金集めも行った。現在約1,500字が完成し、いよいよ2017年6月に約1万字を収録した製品版の発売を予定している。
フォントが街のアイデンティティーを作る、と言ってもピンと来ないかもしれないが、街中のサインや印刷物など、さまざまな媒体に横断的に取り込むことができるフォントは、人々の暮らしに溶け込む可能性を秘めている。
フォントが「都市の顔」となっている例としてよく挙げられるのが、ロンドンの地下鉄の路線図や駅名表示などで全面的に使われている「Johnston」だ。エドワード・ジョンストンによって1916年に作り出され、伝統的なセリフ体の要素を現代風のサンセリフ体に活かしたフォントとして、「Helvetica」をはじめとした多くのフォントデザインに影響を及ぼした。1980年には日本人デザイナーの河野英一さんによって「New Johnston」にリニューアルされ、今年で100年周年を迎える企業ブランディングの先進的な一例となっている。
2000年前後からは、欧州やソウルで行政や関連機関の下、都市デザインを見直す動きの一環として都市固有のフォントが開発されてきた。街中のサインや公文書に使用され、市民には無料で配布されている例もある。
また、2017年に建国150周年を迎えるカナダでは、都市フォントならぬ「国フォント」を準公式で作成。公用語である英語とフランス語に加え、先住民たちの言葉も揃えた「Canada 150」が国家プロジェクトとして誕生した。
Johnston(London Transport Museum)
Canada 150 Typeface(Government of Canada)
濱明朝は、「AXIS Font」などを手がけるタイププロジェクト(東京都練馬区)の都市フォントプロジェクトの一環として2009年にスタートした。代表の鈴木功さんの地元である名古屋の「金シャチフォント」は、既にイメージが固まっていたため金の鯱をモチーフに文字を作るところから着手したのに対し、濱明朝は横浜の街を知るためのフィールドワークから始める必要があった。
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タイププロジェクトメンバーでデザイナーの両見英世さんは千葉県四街道市出身で、当時大船に住んでいた。練馬に通う途中で通る横浜は、休日に遊びに行く場所という認識だったという。
「地元出身だったり多感な時期に訪れていたりしたら違ったのかもしれませんが、完全に外様でした。血となり肉となるまでに、長い時間をかけて関わりを持ちながらやっているというのが、今回の横浜での取り組みの大きな特徴です」と両見さんは話す。
みなとみらい周辺で電車に乗ったりブラブラ歩いたりを繰り返し、写真を撮りためると同時に、イベントのフライヤーなどをひたすら集めることで、街の施設でどんなデザインが使われているか、どんなプレイヤーがいるのかなどを把握していった。
横浜を都市フォントのモデルケースとする決め手となったのは、両見さんの住まいに加えて、開港150周年で市民自ら何かをやろうという機運が高まっていたこと、そして横浜市がアーティストやデザイナー、建築家などの誘致を積極的に行っていたことだった。知人に案内されたZAIM(旧関東財務局)などのクリエイターが集まるスペースが醸し出す空気に魅了され、この地でやりたいという思いが強くなったという。
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その知人に声をかけられて参加した、開港150周年関連でも大きな市民参加イベントの一つが、「イマジン・ヨコハマ」だった。4~6人で模造紙とペンを置いたテーブルを囲み、メンバーを入れ替えながら横浜の未来について話し合いを繰り返す「ワールドカフェ」形式のイベントには、横浜出身者や在住・在勤者などさまざまな人が約500人参加。ここで驚いたのが、郊外在住の参加者の声が思いのほか大きかったことだ。
「横浜といっても広い。海側だけでなく、青葉区や旭区、都筑区などの丘側に住む人も多く、『港』に焦点を当てようとしていたものの、一瞬迷いました。」
だが、当日思い思いに書き込まれた約100枚の模造紙から改めてキーワードを抽出していくと、海や港に関するものが圧倒的に多かった。「500人の人の中に、ある程度一定のイメージとして『港』があるというのは、重要な材料になりました。一周まわって答え合わせができた感じでした。」2,000以上の言葉の中から、「おしゃれな街」、「伝統と新しいものの共存」といった言葉も参考にし、イメージを固めていった。
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実は、イマジン・ヨコハマから着想を得てフォントを作ったのは、両見さんだけではなかった。
ワールドカフェやアンケート調査、出張ワークショップなど一連の「イマジン・ヨコハマ」プロジェクトの成果物として制作され、制作費が話題となった横浜市の「都市ブランドロゴマーク」に使われていたのが「イマジン・ヨコハマ・フォント」。ロゴマークの発表から3年後の2013年に文化観光局が公開し、現在も市のホームページで無料配布されている。
企画・制作を担当したのは、イマジン・ヨコハマ全体を横浜市と協働して手がけていた博報堂(東京都港区)。同社デザイナーの佐藤益大さんが実際のデザインを担当し、字游工房(東京都新宿区)が協力した。「上品、スマート、おしゃれ」「伝統、文化がそこはかとなく感じられる」「古さと新しさの共存」「きゃしゃ、さっぱり、さらさらしているけどしっかりしている、自己主張がある」などといった市民の声を集約し、ひらがな・カタカナ・欧文・数字に加えて「横浜市」と18区の名称を含む38文字の漢字が作られた。
実用性の低さが批判を受けたものの、行政が手がける漢字付きのフォントは話題となり、文字への関心の高さが浮き彫りとなった。
「未来の横浜」を表す都市ブランドロゴが決定-投票総数77,086票(ヨコハマ経済新聞)
文化観光局が横浜フォント「イマジン・ヨコハマ・フォント」を配布(ヨコハマ経済新聞)
濱明朝は、2011年2月からは中華街のシェアオフィス「八〇〇中心」を拠点に進められた。プロジェクトごとにその地域に事務所を構えるというイギリスの先例に刺激を受けたからだ。
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そうして誕生したのは、縦画に海上から望むずっしりとしたみなとみらいの高層ビル群、横画に水平線をイメージした、太さのコントラストが特徴的な明朝体。さらに、近寄って見ると、横画のディテールには氷川丸の船首のカーブが見える。遠景にも近景にも横浜の風景が散りばめられた、楽しい書体だ。
特に横画の細さは、一般的な明朝体と比べると2分の1くらいと、ギリギリまで細くした。 両見さんが感じた、「ある種危うい、横浜の先進性みたいなものや、スタイリッシュさ」を表現している。
山下公園、日本大通り、馬車道、元町中華街といった横浜の地名や駅名、歴史的建造物の名前などから作り始め、小学校で習う教育漢字へと作業を進めていった。実際の作業を見せてもらうと、部首など応用する部分は多々あるものの、想像以上に手作業で一つ一つ調整されていることが分かる。
欧文は、和文と同じく縦画と横画のコントラストの高いモダンローマン体を採用。はためく旗や錨をイメージした躍動感のある形となった。
まだ製品として世に出ていない状態で、ロゴタイプとして使われる場面も出てきた。最初の事例となったのは、看板商品の「横濱小籠包」を売り出すところだった「椿商店」。また、八〇〇中心と併行して入居することになったシェアスタジオ「ハンマーヘッドスタジオ 新・港区」にも採用され、少しずつ街の中へ出て行った。
地産地消の仕事人、はまポーク使い「横濱焼小籠包」を開発・販売(ヨコハマ経済新聞)
「ハンマーヘッドスタジオ 新・港区」に入居するクリエーターを募集(ヨコハマ経済新聞)
「極太明朝体」として認識されてきた濱明朝だったが、このままの形だとロゴや見出しに用途が限られる。「横浜みたいな大きい街だったら、こうしたい、ああしたい、といういろんな要求があると思うんです。 それに応えられないと、使えないものになってしまう」と、現代的なフォントには欠かせないウェイト展開にも踏み切った。
フォントファミリーは、横画の太さが「キャプション」「テキスト」「ヘッドライン」「ディスプレイ」の4種類、縦画が「EL(極細)」から「H(極太)」までの6種類と、全部で24種類。タイププロジェクトのほかの日本語フォント製品と比べても、多いほうだ。文字数を考えれば、都市固有のフォントプロジェクトとしては世界でも類を見ない規模といえる。
太さを変えてしまうと素人にはほかの明朝体と判別がつかなくなりそうだが、あくまで多様な目的に耐えうるための調整。本文やキャプションで小さく使っても文字が潰れず、かつ印象が変わらないように、一貫性を持たせながらバリエーションを広げていった。
面白いのは、ヘッドライン・ディスプレイ=よそ行きのみなとみらい、キャプション・テキスト=普段使いの郊外と、ウェイトのバリエーションとまちの多様性を重ねて考えていることだ。フォントファミリー全体で横浜の都市を表現することで、それぞれの形に説得力が加わった。
ある程度の文章が組めるぐらいまで文字ができたことで、さまざまな見せ方も可能になった。馬車道150周年記念ロゴタイプのコンペでは、天野和俊デザイン事務所による濱明朝を使ったロゴデザインが最優秀賞を受賞。ロゴだけでなく、馬車道商店街協同組合のCIフォントとして、名刺や封筒でも濱明朝が使われることになった。
また、港の見える丘公園に隣接した大佛次郎記念館のサインボードにも使用され、今春から屋外と館内に設置された。デザインは横浜を代表するデザイナー・中川憲造さん率いるNDCグラフィックスが手がけている。
馬車道商店街が「馬車道150年記念ロゴ」を発表 天野和俊さんデザイン(ヨコハマ経済新聞)
デザイナーと地元企業がコラボ-横浜ご当地グッズ5種類発売(ヨコハマ経済新聞)
そして今年1月には、かねてから模索していたさまざまな人を巻き込むための手段として、開発資金を募るクラウドファンディングをスタートした。プラットフォームのFAAVO横浜を運営する関内イノベーションイニシアティブをはじめ、リターン品の制作に中区の印刷会社「テクノヤマモト」や「横浜帆布鞄」など地元企業も加わることで、まちぐるみのプロジェクトとなっていった。4月10日の終了前に目標額の300万円を無事達成し、今後は完成に向けて開発を加速させる。
横浜をイメージしたフォント「濱明朝」2017年に販売へ 支援者限定ミニセットも(ヨコハマ経済新聞))
「あそこもここも濱明朝、となっても飽きられないくらいの耐久性と包容力を持たせたい。横浜開港祭にもブースを出せたら。」街の風景は、着々と変わっている。
齊藤真菜+ヨコハマ経済新聞編集部