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弁天通りの老舗の洋裁店「後藤惣兵衛商店」が閉店-132年の歴史に幕

後藤惣兵衛商店のスタッフと社長の後藤忠さん(右はじ)

後藤惣兵衛商店のスタッフと社長の後藤忠さん(右はじ)

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 1880年から続いた洋裁店・後藤惣兵衛商店(横浜市中区弁天通3)が6月29日、132年にわたる営業を終え、看板を下ろした。

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 同商店は1880年に、当時「時計台」と呼ばれていた町会所(現・横浜市開港記念会館)近くの弁天通1丁目に、横浜の特産品だったシルクの輸出・販売などを手掛ける「後藤絹店」として開店した。

 初代社長の後藤惣兵衛さんは、港に停泊する船の乗組員を相手に、おみやげとして当時横浜の特産品だったシルクを販売。その後、「後藤絹店」を構えた。関東大震災前は船員と山手や山下町の外国人を顧客としていた。震災後は幅広い客層に商いを始め、横浜の女性服オーダーメードの店のはしりとして、地元の人々に愛されてきた。横浜共立学園の制服のデザインも、戦前から一貫して同商店が手掛けていた。

 第2次大戦中の疎開時に1丁目の店舗を閉店。戦後も連合国による土地の接収のため、以前の場所に店を構えることはできなかった。そこで、2代目にあたる惣兵衛さんの息子の建之助さんは、現在地の神奈川県住宅供給公社ビルで店舗を再開。後に3代目を務めた建之助さんの妻の初音さんが、看板娘となって店を盛り立てたという。

 その後、安価な既製服販売におされ、主力のオーダーメード服の需要が減ってからは、体の大きい人向けの既製服販売も手掛けるなど、工夫を重ねて商売を続けてきた。制服は、成長によって丈や袖が変えられるように細かい工夫がされており、6年間着通すことができるなど、ていねいな仕事が信頼を得ていた。

 だが、2011年11月に4代目の周子さんが亡くなり、老朽化による建物の立て直しもあり、今回の閉店が決まった。

 現・社長の後藤忠さんは「原三渓さんもそうですが、もともと横浜のお金持ちは生糸商人が多かった。初代の後藤惣兵衛もシルク取引で大きくなりました。戦前には番頭さんだけでも30人、コックもいるような大きなお店を構えていたそうです。戦後は既製服販売、制服やレインコートの仕立てなどいろいろなことをやりました。ただ、オーダーメード服は職人の高齢化で取り扱えなくなり、制服の卸も競合他社が増えて厳しくなりました。2代に渡って愛用してくださるお客さまも多く、閉店にあたり多くの方が声をかけてくださいました」と話した。

 閉店を知って訪ねてきた70代の女性は、「子供の制服を仕立てる際にお世話になった」と話し、長く関内で愛された由緒ある店の閉店を惜しんでいた。

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