特集

「私立探偵 濱マイク」がカムバック!
第2回「横浜みなと映画祭」が開幕。
~林海象監督が語る「映画になるまち・黄金町」~

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■第2回「横浜みなと映画祭」が開幕

 「私立探偵 濱マイク大回顧展」として、3月16日から20日まで、シネマ・ジャック&ベティ(横浜市中区若葉町)、横浜ニューテアトル(同区伊勢佐木町)、横浜シネマリン(同区長者町)など7会場で開催されている第2回「横浜みなと映画祭」。

 濱マイクシリーズは1993~96年に、林監督が制作した探偵映画3部作。1994年に公開された第1作目「我が人生最悪の時」は、同年の単館邦画系観客動員数ナンバーワンに輝いた。2002年には連続テレビドラマも製作された。今でも横浜を中心に、根強いファンを持つ人気シリーズだ。

 永瀬正敏さん演じる探偵・濱マイクは、派手な服に身をつつみ、アメ車「ナッシュ・メトロポリタン」を乗り回して町をうろつく、おおよそ探偵らしくない探偵だ。ケンカっぱやくてお調子者で、依頼された事件もなかなか解決できない。でもお人好しで情に厚い、チャーミングな青年だ。中区若葉町に1957年から2007年まであった映画館「横浜日劇」の中に探偵事務所を構える濱マイクの活躍を通して、スクリーンには観光ガイドには載らない横浜の風景がいきいきと映し出される。

伊勢佐木町周辺で「横浜みなと映画祭」ー濱マイク大回顧展(ヨコハマ経済新聞)

■「横浜日劇」の2階席が濱マイクを生んだ

―まず、「濱マイク」がどのようにして生まれたのかをうかがいたいと思います。

 原型は1986年頃に出来ていました。ミステリー映画「夢見るように眠りたい」の公開時、映画祭に参加するためにニューヨーク滞在していました。そのときに「アジア人や困っている依頼者を助ける日本人探偵の映画」ができないかと考えたことがありました。


©フォーライフミュージックエンタテインメント
/映像探偵社

 それから、永瀬正敏くんの存在がありました。彼はずいぶん前からぼくと映画をやりたいと言ってくれていたのですが、それがなかなか、かなわなかった。だから、いつか彼を主役にした映画を作りたいと思っていました。彼は本当にいい俳優なんですよ。お酒もあまり飲まないのに、飲み屋でずっと一緒にいるような、そういう人なつっこいところがある。一方で、野性的な部分も持ち合わせている。

 それとなにより、「横浜日劇」を知ったことが大きい。1990年か91年くらいのことだと思いますが、たまたま雑誌で「黄金町」という駅の近くに映画館があることを知り、町の名前に惹かれて「横浜日劇」に入りました。そうしたら、中に使われていない2階席があった。「あそこに探偵事務所があったらどうだろう」と思ったところから、「私立探偵 濱マイク」が始まりました。アジアの探偵というアイデアと、多国籍な黄金町という町、それから永瀬くん。全てが複合して結びついた。

 ―町も今より混沌としていた時期ですね。


©フォーライフミュージックエンタテインメント
/映像探偵社

 黒澤明が「天国と地獄」で地獄として描いた町が黄金町でしょ。ものすごく混沌としていたし、危険なにおいがしましたね。ぼくはとても好きなのですけど、横浜の人に聞くと「あそこには近寄るな」と言われましたね(笑)。

 当時の「横浜日劇」を中心とした黄金町付近は、町全体がオープンセットのようで、ドラマチックな感じがしましたね。京浜急行のガード下などは、それまでに記録映画や写真で見た戦後の風景そのままでしたね。いまはもう、その当時の風景はどんどんなくなってしまいましたけどね。

 そんな町を舞台にした第一作目の「我が人生最悪の時」はモノクロの映画。黄金町の町並みや、町が持っている危険な匂い、人々が持っている陰影などを撮るにはモノクロの方が見ている人のイマジネーションが高まると言うこともあり、いいと思いました。

ー京浜急行・黄金町駅近くの線路高架下には、かつて「ちょんの間」と呼ばれる売春宿が連なっていた。第2次世界大戦末期の横浜大空襲(1945年)で、壊滅的な被害を受けた黄金町周辺に、終戦後は多くのバラック小屋が建てられ、そこから売春宿が発生する。いつしか黄金町近辺は関東有数の非公認売春地域「青線地帯」として知られるようになった。その後、2005年に神奈川県警による集中摘発を受け、売春宿は一掃された。現在の黄金町は「アートを生かしたまちづくり」をコンセプトに、新しい地域像を模索している。しかし、林監督が初めて黄金町駅に降り立った1991年は、戦後の横浜の影が、まだまちに残っていた。(編集部)

若葉町の戦後史たどる「ディープ・ヨコハマ若葉町ツアー」ー500円でガイド(ヨコハマ経済新聞)

かつての風俗エリアも今は昔… 再生へ向け動き始めた黄金町の「現在」(ヨコハマ経済新聞)

■映画の町に、伝説の興行師がいた

 ―映画に登場する人物は?

 1995年に公開した2作目の「遥かな時代の階段を」には、大岡川の利権を独占する「白い男」という人物を登場させています。フィクションのつもりで書いていたのですが、後から本当にそういう人物がいたと聞いて驚きました(笑)。

 ほかにも、横浜みなと映画祭のプロデューサーでもある映画監督・中村高寛くんがドキュメンタリー映画「ヨコハマメリー」で撮影した白塗りの娼婦・メリーさん。彼女の役を坂本スミ子さんに演じていただきました。横浜は、そういう伝説の人物がいるという意味でも「映画的」な町ですね。

― 濱マイクの探偵事務所があった「横浜日劇」には、濱マイクの映画にも、義父役として登場する福寿祁久雄さんという伝説の支配人がいましたね。「横浜日劇」のほか「関内アカデミー」「ジャック&ベティ」など5館の映画館を経営し、横浜の映画文化を牽引した方ですよね?

 「私立探偵 濱マイク」という映画の第一作目は、横浜日劇で先行公開しました。この映画は、日劇が舞台になっているので、日劇で見るのが一番面白いわけですよ。お客さんの反応はとても良かったです。

 この映画は、福寿さんがいなければ絶対出来ていません。「近寄るな」と言われていた黄金町にわれわれのような外の人間が入っていけたのも、福寿さんがいたからです。長年映画館の支配人を務め、まちの人と交流があるから、危険と安全のすみ分けもわかる。福寿さんと黄金町周辺のまちを散々巡りました。

 だから、ぼくが「横浜日劇」の解体を聞いて、1番心配したのは福寿さんのことでした。50年以上、1日も休まず映画館を守ってきたのに、それがなくなってしまう。それでも映画を捨ててしまわず、その後も上映会を続けられているということに不屈の「興行師の魂」を感じます。「たとえ映画館がなくなっても、映画を見せるぜ」という感じで。

横浜から次世代映画人の輩出目指す。映画文化を育む独立興業師の挑戦(ヨコハマ経済新聞)

「横浜日劇」4月に取り壊しが決定-最後の上映会開催へ(ヨコハマ経済新聞)

自主映画上映会「横浜映像天国」、メリーさん写真展も(ヨコハマ経済新聞)

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3世代のハマっ子をつなぐメリーさんの記憶 映画「ヨコハマメリー」が伝える戦後裏面史(ヨコハマ経済新聞)

■映画にかける人々の熱気が濱マイクを甦らせる

―林監督は第1回から「横浜みなと映画祭」に協力なさってますね。この映画祭についての思いを聞かせていただけますか。

 映画は本来、若い人のものなのです。だから、作り手も観客も権威になってしまってはいけない。映画祭にも2つあります。行政からお金をもらって開催する、上から目線の映画祭と、市民運動的な、参加者の熱意で作る映画祭。みんなの熱で作り上げていく映画祭の方が、映画的には正しい。「横浜みなと映画祭」はスタッフが若くて、みんな熱気がある。そういう意味で、とても映画祭らしい映画祭だと思います。

 2007年に「横浜日劇」が解体された時は、何回も、いや、何十回も訪れた場所ですから、すごく大きな衝撃がありました。もちろん、形あるものはいつかなくなるものですけれど、「まさか、それを目にするとは」という思いがあった。「横浜日劇」の解体で、ぼくの中の黄金町が一度終わったんです。それを呼び戻してくれたのは、中村くんや「横浜みなと映画祭」の熱気ですね。それに感謝しています。

 僕は京都の左京区で5年ぐらい前から「BAR探偵」というバーをやっているのですが、今回はシネマ・ジャック&ベティのすぐ近くにある古ビルを改装した「nitehi works」をお借りして、本店を閉めて京都のバーテンダーもみんなこちらに来て「出張BAR探偵」をやる。5日間店主をやります。3時から営業するのでたくさんの人に来て欲しい。今回は会期中、ずっと黄金町周辺にいようと思います。

 本当は「横浜日劇」を再び立ち上げられたらと思うのだけど、それはできない。でも、代わりに「BAR探偵」という幻を横浜に再び立ち上げられたらなと。 映画の街・横浜で「第1回横浜みなと映画祭」プロデューサーを務める中村高寛監督に聞く(ヨコハマ経済新聞)伊勢佐木町周辺で「横浜みなと映画祭」ー濱マイク大回顧展(ヨコハマ経済新聞)

nitehi works

「横浜みなと映画祭」は、有志による自主的な映画祭で、シネマ・ジャック&ベティを中心に2008年と2009年に開催された「黄金町映画祭」の流れを継いで、「街を歩きながら映画を楽しむ」をコンセプトに2012年に初開催された パンフレット・ホームページの作成や、監督のアテンドなどもボランティアの手に任せる。若い世代を中心に中学生や「ジャック&ベティ」常連の年配客などボランティア参加者もさまざまだ。「濱マイク」好きから、映画には詳しくないが地域のイベントに参加してみたいというスタッフまで多様な人々が集まってアイデアを出し合いながら運営されている。現役私立探偵や元警察OBが探偵について語る「探偵シンポジウム」など、ボランティアスタッフの提案から生まれたユニークな企画も少なくない。(編集部)

―今後の目標をお聞かせください。

 今、濱マイクの続編・第四部のプロットを書いています。大岡川に潜水艦が沈んでいるという設定。まずは、小説で書く。

 それと、京都造形芸術大学 映画学科の学生たちと、稲垣足穂の短編を映像化した「彌勒 MIROKU」という作品を作っています。その公開を配給会社に頼らず、ぼくと学生だけでやろうとしています。さらに、この映画には、映画に音楽が入っている「映画版」と、映画に音楽が入っていない「生演奏版」の2つが存在します。 オーケストラとやる「生演奏版」の映画をレンガ作りの京都府京都文化博物館や、京都芸術劇場内の歌舞伎舞台・春秋座で7月に公開します。神戸はKIITO。横浜なら横浜市開港記念会館みたいなところで掛けてみたいですね。

 自分たちで現場まで行って、映画をかけて、それを観た人たちの息吹をもらう。「上映」というより「興行」です。映画はもともと「興業」なんですね。そういう「興行」の原点に、人の気持ちを動かすということに、もう一度学生たちと一緒に立ち返りたいと思っています。

―ありがとうございました。

彌勒 MIROKU 公式サイト

©フォーライフミュージックエンタテインメント/映像探偵社
「横浜みなと映画祭」会期中は、永瀬さんと林監督によるトークショーや、大岡川・都橋商店街・コーヒーマツモトなど、映画版やテレビ版のロケ地を巡るツアー、スチール写真による「私立探偵 濱マイク」秘蔵写真展、愛車「ナッシュ・メトロポリタン」の展示などさまざまなイベントが開催される。また「BAR探偵 in Yokohama」では、京都の店舗のスタッフが集合。撮影に使われた小物なども展示する。虚実取り混ぜながら、ディープな横浜の風景をスクリーンに映し出した「私立探偵濱マイク」が、再び「マイク生誕の地」によみがえろうとしている。(編集部)
Profile 林海象
1986年、モノクロ・ 無声映画『夢みるように眠りたい』で映画監督デビュー。国内外でグランプリ受賞。その他『二十世紀少年読本』(1989)、『アジアン・ビート』(1991)など。永瀬正敏の人気を決定づけた『我が人生最悪の時』『遥かな時代の階段を』『罠』の『私立探偵濱マイク』シリーズを生み、探偵ブームを巻き起こした。また、映画、ネットシネマ、コミック、とメディアを超えて展開する新しいタイプの探偵シリーズ『探偵事務所5』プロジェクトを監修。2010年、『大阪ラブ&ソウル-この国で生きること』(NHKドラマ・平成22年度文化庁芸術祭参加作品)の脚本を手がけ、 同作が「放送人グランプリ2011」のグランプリを受賞した。
林海象Blog

池田智恵 + ヨコハマ経済新聞編集部

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