特集

「池内紀の読書会」~よこはま 本への旅~
ツブヤ大学BooK学科ヨコハマ講座:10限目
ドイツ文学者・作家の池内紀さんをお迎えして

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■「変身」を読んで笑ってもいい

三浦 本日は池内紀さんに、お話をうかがいます。今回取り上げるのは「となりのカフカ」(光文社新書)、訳書「香水-ある人殺しの物語」(文春文庫)、そして「海山のあいだ」(中公文庫)の3冊です。対象の本を読んでこられた参加者の皆さんも、ぜひ池内さんに質問をしてくださいね。

 まず、「となりのカフカ」。これは難解という印象をもたれがちなカフカについて、まったく新しい視点をもたらしてくれる本です。恋人に対し、まるでストーカーのように執拗に手紙を書いていたことや、新型のオートバイが開発されるとすぐに買って試していたことなど、様々なエピソードを紹介しながら、「人間カフカ」を描く。どのような方法で彼が小説を書いていたのかも紹介されており、カフカ本人を傍らで見ているような気にさせてくれます。

 池内さんがどのように「カフカ」という作家に接してきたのかを聞かせていただけますか。

池内 ぼくは日本のカフカ研究の中では、まったくハズレ者なんです。卒論でカフカについて書きましたが、担当の先生たちには「池内が読んで考えたことは書かれているけど、必要な参考文献が全然使われていない」とさんざんだった。ぼくは自分の責任で考えたり感じたりしたことを書くのが「論文」と思っていたけれど、大学というところでは「どの学者が、どこで何を書いているか」をできるだけ多く集めて引用した論文が、優れたものとされるらしいということが分かりました。

 あの頃、カフカは不条理や神学、カバラ哲学(ユダヤ教の伝統に基づいた神秘主義思想)など非常に「大きな思想」と関連づけられていて、「この短編のこの1行が、壮大な宇宙の神秘を表している」とか、やたら大仰な解釈がまかり通っていました。「こんなに面白くて楽しい作品に、どうしてこんな解釈ができるんだろう」と不思議で仕方なかった。「ある朝起きたら虫になっていた」という発想は、小さい頃に「学校行きたくないから虫になりたい」と思っていた感情と、ちっとも変わらないじゃないか。身近なテーマをこんなにわかりやすく書いているものに、なぜこれほど大仰な解釈をしなくちゃいけないのだろう。そういうことを20代の頃に思い、カフカから離れていました。その後20年間ほどは、マイナーな思想家の本などを訳しているうちに、既出の論文と違っていても受け止めてくれる場が出来てきた。じゃあ改めてカフカをやってみようと書いたのがこの本です。

 カフカはサラリーマンで、昼間は仕事をして夜に小説を書いていました。注文を受けて書いていたわけではないから、ほとんど発表する場がなかった。生前に出版された本は全集の中の1冊分だけでした。友人に「死んだら燃やしてくれ」と言い残して死んだ。だから、カフカは自分の作品に対して謙虚で、いっさい名声など願わないでつましく生き、つましく死んだ聖なる文学者として語られてきました。

 でもね、不思議なんですよ。そんなに自分のノートを燃やしたければ自分で燃やせばいいじゃないか。その友人というのは有名な作家でした。「彼に託しておけば必ず本にするだろう」と考えたのではないか。だとすると、「自分の作品は必ず意味がある」という自信を持っていたはずです。本にするかどうかを出版社が迷っている時には、別の出版社からいい話があるかのように見せかけ、迷いを断ち切らせる策士でもあった。

 つまり彼には自分の作品を本にしようという意図が確かにあった。しかし当時あまりにも変わった作風なので本にならなかったんです。

春風社

池内紀著書一覧(白水社)

■労働現場の観察者、カフカ

池内 「審判」の第1章では、主人公のヨーゼフ・Kは何も悪いことをしていないのに、30歳の誕生日に2人組に逮捕されます。朝起きてパジャマのままだったので、「服を着替えろ」と言われる。最後の章では、31歳の誕生日の前夜になり、主人公はどういうわけか処刑されるのを予期していて、服を整えて待っている。そして、2人組に「脱げ」と言われ処刑が進んでいく。

 つまり、第1章と最終章が裏と表の関係になっています。カフカは第1章を書いてから、すぐに最終章を書いていたんじゃないかとぼくは考えています。あるいは、最終章を書いてから第1章を書いたのかもしれない。その後で、間の章を書いていったが、書き切れなくて未完に終わっている。

 なぜカフカはそうしたのか。それは最初の長編の「失踪者」が、書いても書いても終わりにたどりつかなかったからではないか。だから、次はなんとしても完結させたかった。「審判」に関するノートが残されていますが、それを読むと最初と最後がほぼ同時期に書かれていたと推測できる。

 3番目の「城」という長編は、ノートを見ると出だしが3通りあります。書き直しを繰り返して3通りも出だしを作ったけれど、「意味の方向」が決まったらすっと進んでいく。だけど、終わりがない。通常の物語のような手順を踏んでいない小説ですから、未完なのが当たり前で、「終わりがないという形の終わり」がある。21世紀の小説は終わりを持たない方が面白いし、いくらでも広がっていく。そもそも終わらない小説こそ、現代世界では、1番正確な小説ではないか。ですから、未完であるということが、カフカには非常に大切な要素なんです。

参加者A カフカが当時の労働者の現場にすごく身近に接していたことが、この本から感じられました。一見、夢の世界のようだけど、我々の生きている日常とつながっているように感じます。

池内 カフカは「労働者傷害保険協会」という、半官半民の小さな組織で働いていました。労働者が現場で事故を起こした際に保険金を出すのですが、会社はなるべくお金をもらいたくて、「片手が飛んだ」とか大げさに言いたてる。だから、カフカが出張してその事故の状況を査定する。そういう仕事でした。

 20世紀初めは、今で言う「高度成長期」で、機械化がどんどん進んだ。でも現場では、手が飛んだり、指が飛んだりという事故がのべつまくなしありました。カフカの文章で最初に活字化されたのは、機械の操作の仕方を改めて現場の人に指示した保険協会年報掲載の絵入りの論文でした。

 サロンでおしゃべりしたり、カフェで文学談義をしたり、同人雑誌を出したりというのが文学者の生活だったころに、カフカはまったく異質な世界にいた人で、労働現場を誰よりもよく知っていました。奇妙な小説を書いているように見えますが、20世紀の文学者でいちばん現代社会をよく見ていた。「失踪者」には、主人公の青年が、叔父が経営する大企業を見学する場面がある。巨大なオフィスで耳に鉄のバンドをつけた人々が忙しく書類を作って、刻々と連絡し合っている。情報産業のもっとも新しい現場を、1910年代に書いている。ちょっと道具立てを変えれば、今のオフィスとまったく変わらない。そういう風景を書けたのは、労働現場の最先端にいた人だからだと思います。

■においから見える文明

三浦 次の本はパトリック・ジュースキントの「香水」(文藝春秋)です。「パフューム ある人殺しの物語」という邦題で映画にもなった、ドイツのベストセラー小説を池内さんが訳されたものです。鼻がものすごく利くという天才グルヌイユは、においは敏感にかぎ分けるけど、自分自身にはまったくにおいがないという不思議な主人公です。「部屋に入る前に何人の仲間が寝室にいるかを言い当てた。キャベツを断ち割る前に、中に芋虫がいるのを見通していた」。においでそこまでわかってしまう。こんな人物がフランス革命前後を生きている。最後の方はページをめくるのももどかしいくらい、すごい物語が展開していきますね。どういう経緯でこの本を翻訳されることになったのですか?

池内 最初は依頼を断りました。ぼくは文藝春秋といった大出版社から注文されるような人間じゃないし、ましてベストセラーを訳すような人間でもない。それでもぜひと言うので本を預かったのです。

 たまに電話で編集者に進行を尋ねられると、翻訳作業を進めているようなことを言いながら、実は1行も読んでいなくて「3分の1くらいです」「かなり山が見えました」とか適当なことに答えていました(笑)

 しかし、さすがに向こうもおかしいと気づいたらしく「今度本を持って会社に来てください」と言う。さすがに「やらなくちゃ」と思ってまじめに読み始めたら、もう止まらない。「今まで訳した中で一番面白い小説を」と聞かれたら、「香水」と答えるかもしれません。それくらい面白かった。

 アラン・コルバンというフランスの歴史学者がいます。彼は「フランス革命の頃のパリが、いかに強烈なにおいの充満している町であったか」から始めて、近代化はにおいが消えていく過程だということを論証している。ぼくはそれをドイツ語で読んでいましたから、ジュースキントの小説に出会った時に、彼はコルバンを元にしたのだと思いました。

 日本も、昭和20~30年代初頭までは便所もくみ取り式で、あらゆるところに強烈なにおいがありました。ただ、皆が同じようににおいを持っていたから感じなかった。その「におい」は、生活が豊かになるにつれて消えていきました。

 19世紀は、18世紀までの悪臭の立ちこめた都市が徐々ににおいを失っていく過程でした。グルヌイユは、一切においを持たないからこそ、あらゆるにおいに対して敏感に反応できる。彼自体が一種の文明のパロディなのです。

 グルヌイユというのは、フランス語でカエルという意味です。カエルのぶよぶよして無臭の様子が、主人公に重ねてある。フランス人はカエルやカタツムリを食べますが、グルヌイユも最終的には、愛という名の下に食われてしまう。フランス人の食生活の一部と、キリスト教的な愛がパロディにされています。

 ジュースキントはちょっと変わった作家で、こんな大評判作を書いたにもかかわらず、その後ほとんど小説を書いていません。ぼくは彼の「ゾマーさんのこと」も訳しました。子ども向きの本ということになっていますが、大人の哀しみがにじんでくる小説です。これだけの才能があってなぜ書かないのか。ドイツに滅多にいない、大衆性を持ったエンターテナーでありながら、それを古典にする力を持っている希有な作家ですね。

「香水 ある人殺しの物語」(文藝春秋)

「ゾマーさんのこと」(文藝春秋)

■翻訳は日掛け貯金

三浦 「香水」には池内さん独特の訳語がありますが、それがとても分かりやすい。たとえば「イボコロリの水薬」という表現。あるいは聖人を表す場面で、「八百万(やおよろず)の聖人様に誓ってもいい」というちょっと古風で日本的な表現が出てきます。

池内 翻訳は日本語の貯蓄がないとできません。はやりの言葉は、流行が終わると死んでしまいますから、使うと翻訳書の寿命が短くなってしまいます。ですから、今の自分たちは使わないかもしれないけれど、父母の世代が日常で使っていて、現在も使われているちょっと古い言葉を使おうと意識しています。残っている言葉は生命力がありますから。「イボコロリ」というのも少し古いですけど、日本人の生み出した面白い表現で、そういうのが訳語として自然に出てくることはあります。

参加者B 翻訳をされていて「訳せない」「分からない」ということはありますか。

池内 前後の流れから作者が言おうとしている方向は分かるけれど、具体的に何を言おうとしているのかがつかめないことはあります。そういうときは何度も何度も読み返します。

 そして、「ほぼ、こうだろう」というところに行き着いたときに訳します。よく「原文通りに訳した」なんて書いている人がいますけれど、あれは訳者が分からないから機械的に日本語に置き直しているだけで、しばしば意味のある日本語になっていない。

 だから訳書を「読んでいて分からない」と思ったら、自分の頭が悪いのではなく訳者が悪いと思っていいんです。そういうものよりも、「どうしてここで、このエピソードが入るのだろう」という意味での分からなさのほうがつらいですね。

 翻訳というのは日掛け貯金のようなものです。毎日少しずつ貯めていって、だいぶ経つと満期がくる。1日いくら頑張ってもたかがしれているけど、さぼれば確実にすすみません。貯金をしたくなるような編集者の後押しがいないと、なかなか進まないんです。

■死は引き算、ことばは足し算

三浦 最後に「海山のあいだ」(第10回講談社エッセイ賞受賞)です。紀行文だけでなく、少年時代の思い出を書いたエッセイや、「スポーツ物語」という掌編小説など、いろいろなテーマの文章が収められています。

池内 この本は、表紙のイラストもぼくが描いています。もともと角川ソフィア文庫に入っていたのですが、あまり売れなかった。中央公論新社の編集者に「角川が絶版になっているから、中公文庫で出しませんか」と話を言われて、「売れてない」とお答えしたのですが「ぜひ出したい」と。

 それならばと、少しでもお金を浮かせるために自分でイラストを描きました。ほかにも2冊、中公文庫から出ていますけど、どちらもぼくが表紙を描いています。せめて表紙は見てください(笑)

 この本はずいぶん昔、40代の頃に書いたものを集めた本です。昭和20年代に少年時代を送った人間が感じた日常のこと、人との交わり、それから大好きな夢のようなこと。旅が好きですから旅の記録、当時亡くなった人への追悼など、書き溜めていたエッセイの中から気に入ったものを集めて、それをまた分類したものです。だから振り返ってみると、あとあと自分が出した本や仕事の芽が、ここにたくさん出ている。

 ぼくは、両親を早く亡くしたので、孤独な少年時代が長かった。肉親を早く失うと、死について冷静に対応するようになります。高校の同窓が肩を組んで歌を歌うような、人の体温で結びつく友情が大嫌いで、避けてきました。今の自分の生き方が、少年のころの孤独な時間に形成されているものですから、そういう経験を確かめるようにして書いていたというのもあります。

参加者C 山に登られた時の様子が書いてありますが、一番好きな山はどこですか。

池内 一番好きな山は、一番最近行った山です。恋人と同じで、過去の恋人は懐かしいけど、一番うれしいのは現在の恋人です。最近はあまり1人では山に行かないのですが、1人で歩いていると、これまで自分が出会ってきたいろんな人と自分の中で会話ができる。

 初恋の人を呼び出して、「最初に新宿で会った時、どの喫茶店で話したか」なんてことを思い出しながらずっと歩いていると、急に対話の相手が3番目の人に変わったりする。そういう1人対話は楽しいですね。今は山のベテランに同行してもらいますが、それでもなるべく距離を取ってもらいながら歩くことが多いですね。

参加者 寝袋で1人、山の中で夜空を見るというくだりがあるのですが、怖くないですか?

池内 寝袋で寝ていたのはせいぜい30代終わり頃までですね。物理的な恐怖は感じませんでした。

 怖いのは闇です。山の暗さが怖い。月夜は本が読めるほど明るいのですが、何かでさえぎられて出来た影の暗さが非常に怖い。何かが近づいてくるのではないかと、錯覚してしまう。そういうときは口笛を吹いたり、歌を歌ったり、ウイスキーを飲んだりして紛らわせました。でも、山好きの人間はよく外で寝たりするものですよ。

 空にじかに大きな星が見えて、それが雲に隠れたりまた現れたりする様子はとてもめまぐるしい。映画のようです。「そういう時は寂しくないか?」とたずねられますが、ぼくは人といる時の方が寂しいですね。喫茶店でぼくと同世代のお年寄りのおしゃべりを聞いてると、「年寄りは常に自分の過去をねつ造するんだな」と思います。

 女性が交じっていると、変に塩をまくような言葉が飛び交ったり。そういう場での別れ際のなんとも悲しい後ろ姿を見ると、「本来人間は孤独なのだから、同じような年の人間が集まったりしない方がいいなあ」と思います。そういう時の方が孤独を感じます。

参加者D 池内さんは死によってまわりから人がいなくなっていくことを「引き算」と表現し、言葉の世界は「足し算」が可能な世界と表現しています。「この世界のゆたかさに比べて現実世界はなんと貧しいことだろう。そこには永遠の引き算があるばかり。いっぽう、ことばの世界には永遠の足し算の声がひびいている」。ここはとても面白い考えですね。

池内 父、兄、母がなくなり、20代の時に一切近しい身内がいなくなった。父親が死んだのはぼくが幼い頃です。昨日までものを言っていた人間がどうして何も言わないでじっとしているのだろうと不思議に思っていました。それから兄は事故で、母はガンでなくなりました。

 徐々に人が死に近づいていく、ゼロに近づいていく過程を一年くらい、一番身近な母親を通して見ていた。もういつ死ぬか分からないという時に、母を病院から出して郷里の大きな古い家の座敷で、並んで寝ました。肝硬変で、頭ははっきりしているのに体が動かない。ぼくは退屈ですから、小さい灯りをつけて本を読んでいる。そうすると、母親が「そんな暗い電気の下で読んでいると目が悪なるよ」と言うので、つい「うるさいっ」と言ってしまって。それから4日くらいして亡くなりました。後で思い返して、かわいそうなことをしたかなとも思いました。でも、母親というのはゼロに近づいても母親なのだということはよくわかりました。子どもというのは、母親に対しては言いたいことを言っていい。あの時読むのをやめて「はい、おやすみなさい」なんて言ったら、むしろ後悔しただろうなんて後で思いました。

 引き算は、皆さんも体験されていると思います。ぼくはそういう過程の中で文学というものを知ったものですから、ことばを足すことによって世界ができあがる、自分の努める気持ち次第で、どのようにも増えていく、こんなすばらしい世界があるというのがうれしかったです。

 ぼくはものを書き始めたのが30代後半からでした。20代からものを書いている人は気の毒なところがあります。20歳くらいで世に出てしまうとためがないから、すぐ書き尽くしてしまう。ぼくはわりとためがあって、翻訳も編集もやる。フィクションめいたものもエッセイも書く。そういう点では遅くに始めた方が楽でしたね。いまでも書くことにはあまり困らない。もう、だいたい書きたいことは書きましたけどね。

 ひとつだけやりたい仕事が残っています。「ナチス・ドイツ」についてです。あの国がどうしてああいう狂気の時代を持ったのだろう。どうして国民の98%がヒトラーを支持したのだろう。そういうことを書いていくのが、ドイツ文学者としての自分の責務だと思っています。

 ヒットラーは独裁者と思われていますが、国民社会主義をうたったように、つねに国民の支持を基盤にしていました。国家が一斉にひとつの方向に向かって走っていくという時代が、遠くない過去にあった。一番大きな役割を果たしたのがメディアです。メディアと国家が同じ方向を向くと、一斉に走り出す。そしてそれ以外は悪とされる。それは今のメディア時代を非常に先取りしています。

 この仕事が終わったら書くのはもういいかなと思ってます。お迎えが来る前に、来年には出したいですね(笑)

「海山のあいだ」(中央公論新社)

 「海山のあいだ」は、山岳への紀行文を主としたエッセイ集です。第1章の「追悼記」は、亡くなったオーストリア人のリンドルさんへの追悼の気持ちをこめたエッセイです。亡くなった人、あるいは通り過ぎていった風景から、たくさんの表情を引き出してくれる池内さんの文章は、たしかに「足し算の世界」です。ユーモアたっぷりの語り口のおかげで、笑いの絶えない読書会になりました。

池内紀(いけうち・おさむ)
1940年兵庫県生まれ。ドイツ文学者、エッセイスト。カフカ関連では、「カフカの生涯」(新書館、2004年/白水社、2010年)、「ちいさなカフカ」(みすず書房、2000年)などを上梓している。「カフカ小説全集」(白水社、2000~2002年)で2002年度日本翻訳文化賞受賞。全集は後に白水Uブックス全8巻として再刊されている。ほか、「諷刺の文学」(白水社、1978年)で第10回亀井勝一郎賞受賞。「ゲーテ ファウスト」全2巻(集英社、1999~2000年/集英社文庫、2004年)で毎日出版文化賞受賞。「ゲーテさんこんばんは」(集英社、2001年/集英社文庫、2005年)で桑原武夫学芸賞受賞している。旅とエッセイの名手としても高く評価されている。

 次回9月15日15時からの「ツブヤ大学BooK学科ヨコハマ講座12限目」は、「長田弘の読書会」。詩人の長田弘さんをゲストにお迎えして、自著『ねこに未来はない』(角川文庫)『記憶のつくり方』(朝日文庫)、『定本 私の二十世紀書店』(みすず書房)についてじかにお話を伺います。聞き手は今回と同じく、三浦衛さんです。

ツブヤ大学

池田智恵 + ヨコハマ経済新聞編集部

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