特集

横浜・紅葉坂の出版社「春風社」 
真っ当な仕事が示す、出版社のこれから

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■「書き手を大切に」春風社の仕事

 三浦衛さんは、神奈川県内の私立高校で社会科教諭を7年間務めたのち、東京の出版社に勤務。勤続10年目にして倒産の憂き目を見たのを機に独立し、仲間とともに春風社を立ち上げた。当時41歳。再就職もままならぬと考えて「カイシャ作っちまおうか」と口にしたのが事のはじまりだったという。

 「机と電話とパソコンがあれば出版社はできる」と保土ヶ谷の自宅マンションの一室で創業。インターネットが発達した今でこそ出版業は場所の制約から解放されているが、当時は出版社は都内というトレンドがあった。にもかかわらず横浜で起業したのは、本人は「単に背に腹はかえられなかっただけ」と笑うが、先見の明を感じさせる。

 保土ヶ谷から横浜西口のオフィスを経て現在の紅葉坂に移っているが、書き手を大切にする仕事ぶりは変わらない。「目で見て肌で感じた体験からしか、物事の本質は見えてこない」をモットーにする三浦さんは、メールや電話で、最近ならskypeやtwitterでと、便利なものに頼って済ませがちな打ち合わせや取材を、直接著者と会ってすることが多いという。

 「リアルな行間はそこから生まれる」と三浦さんは話す。行間にどれだけの含蓄があるかが本の価値を支えていると言っても過言ではない。3回から多いときは8回もの校正を経て本が生まれる。「ウチは古風なやり方をしているものですから、多少お時間をいただいています。頑固なところはご勘弁ください」と著者に説明してから本づくりに入るという。合理化できないところに本の良さがあるという信念のもとに作られた春風社の本は、1冊ごとに個性があり、ずっしりと質をたたえた存在感がある。

 Kindleをはじめとする電子書籍など、本をコンテンツとして消費する時代が到来する中で、こうした真っ当な、真に“出版”と呼べる仕事を貫く姿勢には、これからの出版社のあり方を考える上で大きなヒントになる。本はただのコンテンツの乗り物ではない。姿と形を持った、生き物なのだ。

春風社オフィシャルサイト

■奮闘記も好評の春風社

 春風社について語るとき、三浦さんが必ず口にするのが“スーパー・エディター”ヤスケンこと安原顯(やすはら・あきら)氏だ。『出版は風まかせ』でも「わが師ヤスケン」の章が設けられている。

 ヤスケン氏は、業界で知る人ぞ知るの名物編集者だった。著書『編集者の仕事』でその存在を知り、彼の主宰する創作学校の門を叩いたのがそもそもの出会い。師弟関係は、のちに著者と発行者の関係に発展。それがヤスケン著『ハラに染みるぜ!天才ジャズ本』『乱読すれど乱心せず』の出版だった。二冊を出したのち、ヤスケン氏は肺がんでこの世を去った。

 三浦さんはヤスケン氏について「まっとうな人」と評する。秋田の農家の出で、人間は土から離れてはまっとうに生きられない、という思いを抱く三浦さんの目には、都会人なのにまっとうなヤスケン氏が、不思議に思えた。仕事への圧倒的なまでの熱意と執念、著者を大切にする姿勢、すべてに学ぶところがあったという。このヤスケン氏については賛否両論がある。ここではあえて言及しないが、決してつるりと丸い、当たり障りない善人タイプではない。むしろ、ものすごく人間臭い人である。

 『出版は風まかせ』にはこうある。「(本の)中には自分の感情や感動や悩みや願い、ひとことで言って“こころ”が封じ込められているような気がし、撫でさすりたいような気持ちになる」。本は人のこころの写し絵、それを編む人間が人間臭くなくてどうする。それこそが真にまっとうな編集者のあり方ではないか。

 病院に見本本を届けたヤスケン氏の言葉はいまも三浦さんの心に残っている。「いいね、いいねえ、2800円?原価計算したのか?安すぎだよ。8000円でもいいくらいだよ」がんにおかされながらも、手放しで本の出来を喜ぶヤスケン氏を見て、本の持つ力に改めて打たれたという。

■春風社の本を支える装丁家・矢萩多聞さん

 春風社のラインナップの中心は『信仰の美学』『ナショナリズムと宗教』など、歴史や哲学をはじめとする人文学系の学術書だ。ちょっととっつきにくいこのジャンルの本を、知的センスあふれるデザインで包むのが、ブックデザイナー・矢萩多聞(やはぎ・たもん)さん。正統派を貫くものから、時にルールを逸脱したデザインまでと、その巧みな表現力で知の世界への入口を広くしている。

 三浦さんと矢萩さんの出会いは、起業間もないころに遡る。三浦さんはある日、自宅近くのインド雑貨店「ラーヤ・サクラヤ」でヒンドゥー教の神、ガネーシャの像を買った。ガネーシャは商業と学問の神であり、「群衆(ガナ)の主(イーシャ)」を意味する。出版には大切なことだと思って求めたのだとか。そのお店にいた長髪の不思議な青年こそ、当時の多聞さん。

 日本の教育に馴染めず、学校を離れ、ペンによる細密画を描きはじめた多聞さんはインドと日本を往復し、毎年銀座・横浜などで個展を開催している。そんな彼に惚れ込み、「好きな人を集めて、対談本を作ってみないか?」と三浦さんが誘って生まれたのが『インド・まるごと多聞典』。多聞さんにとってはじめての著書となるこの本は、インドのライフスタイルや習慣の魅力から、日本での生活の中で生まれる素朴な疑問まで、インドゆかりの映画監督や詩人、ミュージシャンや農夫らと語り合った、インド果汁100%の対談集。

 この本で装丁家としても歩みはじめた多聞さんは、今や日本を代表するブックデザイナーのひとりだ。「情報」ではなく、「もの」としての本を意識して作られる彼の装丁には、手にとって楽しい魅力が満載だ。

tamonolog

■14歳の自分、本に残す。横浜女学院中学校の生徒さんと本づくりワークショップ

 春風社は横浜女学院中学校の2年生の職場体験授業を受け入れ、本作りワークショップを毎年実施している。2日間で、原稿書きから、組み版、印刷、編集、製本までを体験する。1枚の紙とペンから1冊の本が出来るまでを体験できるのだ。キュレーターとして、三浦さん、多聞さんと春風社の社員が付き、編集・校正の仕方やデザインを教える。最後は自分の作文がフランス装のしゃれた豆本になるという、大人もうらやましくなるワークショップだ。

  「わたしの好きな本」というテーマで生徒が作文をそれぞれ持ち寄り、4人分をまとめてレイアウトし、挿画などを工夫し、1冊に仕上げていく。生徒たちもそれぞれに達成感と、作ることの喜びを見出していた。金子由佳さんは「いつも本屋さんで買っているだけだったのが、本を自分で作れて、愛着がわきました」という。

 地道な作業の先に、本が出来ていくとき、生徒たちの顔がほころんでいくのが印象的だった。本はものづくりであることを再確認できるワークショップ。「もの感」あふれる本づくりにこだわっているこの出版社の姿勢を垣間見ることができた。

■三浦さん、メディア研究会に登壇

  去る12月20日、三浦さんは横浜コミュニティデザインラボが主催する「横浜メディア研究会」に出席、「『本』が好き! ~出版は風まかせ~」というテーマで熱弁をふるった。登壇者は、インターネットの学術利用をテーマにした専門サイト「ACADEMIC RESOURCE GUIDE (ARG)」を運営する岡本真さん、桜美林大学で情報デザイン論を教える和田昌樹さん、エディトリアルデザイナーとして活動する高橋晃さん、将来のメディアの姿を描き出す『2030年メディアのかたち』の著者であり、慶応義塾大学教授の坪田知己さんほか。

 登壇者たちがさまざまに出版社の現状を分析し、出版界のその後を議論した。三浦さんは「活版印刷で紙に刻まれた文字は、傷のように見える。木々に傷をつけたら樹液が出てきて命が養われる。良い文字と良い言葉は、紙から出てくる樹液のように、ひとの命を養うようなイメージがあります。きっと多くの人がそういうものを本に求めている。そこの部分を大切したい」と、本作りに寄せる思いを述べた。

 春風社の本作りは、メディアとしての本作りとは少し違う。メディアという視点で見ると、本は文字情報が上に乗っている紙にすぎない。それだけなら、電子書籍にとって代わられても不思議はない。しかし春風社の本は、電子書籍化したらあまりにも多くのものが失われるような「本」なのだ。表紙があり、カバーがあり、帯がある。そして紙に文字が刻まれている。その行間には、生き物のように、含蓄がぐっと詰まっている。それらが内容と呼応し、一つの本という表現になっている。

 こんな本作りはきっとこれからも、支持され続けるだろう。今のインターネットや電子書籍は、情報は吸収できても、情報に還元できないものを吸収することはできない。手触りや愛着、温度など、電子書籍にはない、紙の本だからこその表現であり続ければ、いつまでも出版は生き続けるのだ。

横浜メディア研究会

横浜の出版社「春風社」社長を招き「本」をテーマにトークイベント(ヨコハマ経済新聞)

森王子 + ヨコハマ経済新聞編集部

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