特集

ライブ×メディアでアップカマーを生む。
横浜・「新」音楽シーン誕生の夜明け

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■ライブハウス「BAYSIS」に期待される役割とは?

ライブハウス「BAYSIS」店長の三井さんとスタッフたち 6月3日、ライブハウス「BAYSIS」のオープニングライブ「BIRTH OF BAYSIS」に音楽ファンが集まった。出演したのは、「JAPAHARINET」、「Parking Out」、「Chuliplity」。横浜の音楽シーンに新たな1ページを刻むステージに、会場は熱気に包まれた。オープンの2日前に行われたレセプションパーティーには、横浜の音楽シーンを担う地元メディアの音楽番組関係者、横浜のライブハウス関係者が一堂に会した。このライブハウス「BAYSIS」への期待の高さが伺える。

ライブハウス「BAYSIS」 BAYSIS BLOG

 「BAYSIS」の店長は、ライブハウス「CLUB24WEST」の元店長で、横浜のライブ・シーンを支えてきた三井達也さん。事前にメディア関係者、バンド、音楽事務所、他のライブハウスなどにヒアリングし、「求められているライブハウス」像のリサーチを十分にしたうえで店舗を設計した。同じ関内エリアには「7th AVENUE」、「Club24 YOKOHAMA」、「B.B.STREET」などのライブハウスがひしめいている。そのなかで、「BAYSIS」が横浜の音楽シーンを活性化するうえで果たすべき役割とは何か、それは2つある。

 1つは、「中バコ」(中規模クラスのライブハウスの意味)であること。横浜には、300~500人ほど収容する「中バコ」が少ない。そのため、「小バコ」を一杯にできるくらい売れ出したバンドは東京のライブハウスに行ってしまうというという現実があったのだ。横浜の音楽畑で育った種を外部に流出させないためには、人気が出始めたバンドに、横浜で次のステージを用意する必要がある。収容人数300人の「BAYSIS」は、それを担っていくライブハウスを目指している。

PA卓も最新のデジタル機器を導入したもう1つは、ライブと地元メディアの音楽番組との連動だ。「BAYSIS」の場内には固定カメラが3台設置されていて、ミキサーでスイッチングした映像をすぐに出すことができる。PA卓も最新のデジタル機器を導入した。光回線も引き込み、ライブの生中継やネット配信にも対応している。FMヨコハマの「YOKOHAMA MUSIC AWARD」、tvkの「YOKOHAMA MUSIC EXPLORER」といったインディーズミュージシャンを発掘する音楽番組とタイアップしながら、地域に密着した横浜のアーティストのライブを組み立てていくという。FMヨコハマの入る横浜ランドマークタワー、tvkの入る横浜メディアビジネスセンターの両方から近い場所に位置しており、メディア関係者にとって利便性が高いことも強みだ。

関内に次世代ライブハウス-横浜の音楽番組ともコラボ

■日本のロックとライブハウスの歴史は横浜から始まった

「Yokohama HOOOD!!」第3代目グランプリの「森の木狩り達」 先ほど「横浜の音楽シーン」という言葉を使ったが、その特徴とはどのようなものだろうか。まず、横浜は同規模の他の都市に比べてライブハウスの数が少ない。また、メジャーバンドのツアーは少なく、出演者は極端に地元バンドが多いという特徴がある。こうした状況を「ある種、健全な状態」と言うのは、新横浜のライブハウス「BELL'S」代表で、インディーズアーティストを育て続けている小山宏一さん。小山さんは、福原尚虎さんがDJを務めるFMヨコハマの番組で、横浜のライブハウスの歴史から現在の課題までを語ったことがある。その話を聞くと、横浜の音楽シーンが激しく変遷していったことがわかる。

新横浜BELL'S

新横浜「BELL'S」代表の小山さん 小山さんによると、横浜は日本でライブハウスが最初に生まれた街、そして日本語のロックが最初に生まれた街だったのだという。「日本のライブハウスは、グループサウンズの時代に本牧から始まりました。当時、本牧に住むアメリカの将校たちが遊びに行く店に、60年代のロックの輸入版のレコードを聞いて、それをカバーするバンドが出るようになったのが最初です。その後、ビートルズが世界的なスターになり、ロック全盛の時代がやってきました。この時代、日本の音楽の最先端を走っていたのは横浜で、日本語のロックも横浜から生まれていったのです」。

 グループサウンズのブームが終わると、横浜にはロックバンドが出演するライブハウスが消えていく、少し途切れる時期がある。その後、70年代はじめに突然変異的にライブハウス「横浜放送局」ができ、そこから横浜のバンドが数多くプロとしてデビューしていった。1971年にはテレビ神奈川(tvk)が設立され、翌年に音楽情報番組「ヤングインパルス」の放送を開始。番組の同録をする形でライブハウスにバンドが出演し、佐野元春などがメジャーデビューしていった。1982年には新山下の「バンドホテル」の敷地内にライブハウス「シェルガーデン」ができ、横浜の音楽シーンを支えた。

 80年代中頃に日本の音楽シーンは大きく変わった。当時、TBSの深夜番組「いかすバンド天国」と、ストリート・ライヴのメッカとなった「原宿歩行者天国」のイカ天・ホコ天ブームによって、全国の若者の間でバンドが一大ブームを迎える。横浜では80年代中頃に関内の「7th AVENUE」と、ビブレの中に「ライブスクェア」がほぼ同時期にできる。また、1984年にtvkがプロモーションビデオを流す番組「ミュージックトマトJAPAN」の放送を開始、1985年にはFMヨコハマも開局した。

■東京に近い横浜特有のライブハウス事情

「Parking Out」のライブステージ 80年代はメジャーの業界でも、ライブハウスをツアーして回って叩き上げてくるというスタイルが主流の時代。横浜のライブハウスをツアーで回ることで、ホールやアリーナで大観衆を沸かせるだけの実力がつくというのが一つのスタイルとなった。この流れでメジャーデビューし成功したバンドも数多い。こうした状況は10年ほど続いた。

 それが90年代に入ると、メジャーバンドのツアーでは東京でライブをやっておけば横浜はやらなくていいという風潮が生まれる。東京でのライブを横浜の人は見に来るから、東京と横浜の両方でやると集客率が落ちる、という理由だ。バブル崩壊で、予算的な面でツアーを縮小しなくてはならない事情もあったのだろう。これにより、メジャーバンドの横浜での出演数は半分ほどに落ち込んだ。しかし、その空き日は地元のアマチュアバンド、インディーズバンドの出演日となる。これが、地元のバンドを押し上げていこうという横浜のライブハウスの動きを強めるきっかけとなった。今ではメジャーと地元バンドの比率は完全に逆転しており、横浜のライブハウスは極端に地元バンドが多くて、そこにポツポツとメジャーバンドのツアーが入っているという状況だ。

「Parking Out」のライブステージ 個々のライブハウスの個性というものも、最近では薄くなりつつある。以前はジャンルの壁が厚く、バンド側も聞く側も明確に好みが分かれて差別感があった。ライブハウスのブッキングマネージャーも、昔は「俺はこういう音楽しか認めない」という個性が強い人が多かった。しかし今はノンジャンル、ボーダレスの時代、聞き手はいい音楽だったら何でも聴くし、バンド側もいいと思えばジャンルにこだわらずに音楽性を取り入れていく。ライブハウスも同じで、いい意味でも悪い意味でも店ごとの違い、特徴というものは薄くなってきている。そうした時代だからこそ、地元メディアとライブハウスが協力して盛り上げ、横浜独自の音楽シーンを形づくっていくことが必要なのだ。

 小山さんは、ライブハウスの魅力をこう語る。「ライブハウスはマジックな宝箱です。そこには、世の中に出回っている、コンボのかかり均質化された音楽とは違う、世界に一つしかない音があります。輝いている音楽を見つけた素晴らしさを、そこに居合わせた人たちで共有する瞬間は何物にも代えがたい喜びですね」。

■横浜らしさのある音楽シーンと音楽性

レセプションパーティーに集まった音楽ファンと業界関係者 FMヨコハマのパーソナリティーやDJとして活躍し、メディアの立場から横浜の音楽シーンをウォッチし続けている福原尚虎さんに話を聞いた。「ここ数年で、横浜のインディーズバンドを紹介する番組が増えてきています。tvkは『YOKOHAMA 音楽シーンをウォッチし続けているDJ福原尚虎さんMUSIC EXPLORER』、バンド紹介コーナーがある『みんなが出るテレビ』。FMヨコハマは『YOKOHAMA MUSIC AWARD』、『tre-sen(とれせん)』の中でテレビ朝日系列『THE STREET FIGHTERS』とのコラボレーション『The Street Fighters@横浜』も放送しています。NHKFMの神奈川版や、ラジオ日本などでも横浜・神奈川のインディーズバンドが継続的にとりあげられています。6年ほど前まではほとんどなかったのが、今ではこれだけあって、横浜でライブをすれば地元メディアがそれを多くの人に伝える。そうして地域でエネルギーが循環していけば、横浜らしさのある音楽シーンを生み出せるのではないでしょうか」。

YOKOHAMA MUSIC EXPLORER みんなが出るテレビ tre-sen THE STREET FIGHTERS

 横浜らしい音楽シーンを生み出していくには、「アップカマー」(=昇っていく奴、上昇志向のあるアーティストの意味)と呼ばれるメジャー予備軍のバンドを発掘し、育てていくことが重要だ。その積み重ねによって、横浜独自の音楽性も育まれていくのではないだろうか。

ニュートラックス代表の大瀧眞爾さんみなとみらいで土日を中心に開催している路上ライブなどをプロデュースしているニュートラックス代表の大瀧眞爾さんは、横浜の音楽シーンについてこう語る。「30年前の横浜は異国情緒に溢れ、横浜でしか味わえない独特の価値観があった。アーティストにも観客にも、横浜でやる意味を感じてもらえるようなライブができれば、と思っています。個々のアーティストの一ファンではなく、横浜の音楽シーンのファンを生み出していきたい」。また、音楽性の面での横浜らしさとは何かという質問に、こう答えた。「今この時代の中で、まさに横浜らしい音楽として表現できている好例が、『クレイジーケンバンド』。東京の先端的な音楽要素を取り入れながら、それにとりこまれない強さと独特のテイストをもっています。10代、20代の若いバンドも、そうしたものをもってほしいですね」。

ニュートラックス

 ライブハウスと、地元メディアの音楽番組の連携でアップカマーを生み出す。それが横浜らしい音楽シーンと音楽性を形作っていく。「BAYSIS」ではすでにFMヨコハマの「YOKOHAMA MUSIC AWARD」、tvkの「YOKOHAMA MUSIC EXPLORER」の両番組とのタイアップライブイベントが企画されている。こうした流れが加速し、横浜が開港150周年を迎え注目を浴びる2009年には、独特の横浜音楽シーンが生まれていることを期待したい。

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