特集

アートはヨコハマの細部に宿る?
スタイルの多様化が進むギャラリーの現在

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■実験的に運営スタイルを変えるクリエイター集団~studio BIG ART

横浜の繁華街から外れ、オフィスビルが立ち並ぶ東神奈川。高速道路の脇に建つ築32年の4階建てのADビルが、若手アーティストたちの集うマルチ・スペース「studio BIG ART(スタジオ・ビッグアート)」だ。1階、約16坪のイベントスペースはスポットライトやAV機器、プロジェクター、ベンチ、椅子、マイク、卓球台などを完備し、企画展や上映会はもちろん、スタジオやワークショップとしても利用できる。2~4階は共同アトリエで、糸ノコやグラインダー、ボール盤、塗装ブースなどさまざまな工作機械を装備する。また、みなとみらいやベイブリッジが一望できる屋上もイベントスペースとして利用可能だ。

現在、スタジオ・ビッグアートの共同アトリエに出資するメンバーは16人。休日の作品づくりのために使う社会人や、倉庫として使用している人など、参加する目的や表現ジャンルは人によってさまざまで、構成人員は流動的だ。立体・写真・絵画・イラスト・映像・パフォーマンスなど、ジャンルを超えたアーティストが作品の制作・発表・交流の拠点として利用している。また、アート・マネジメントに興味を持つサブ・メンバー約10人がボランティアスタッフとして活動に参加。ここには、ジャンルを取っ払って同世代のアーティストを惹きつける「磁場」の力がある。

スタジオ・ビッグアート

1998年、メンバー4名で神奈川区のビルの3、4階を借りてスタジオ・ビッグアートはスタートした。発足当初は数人によるシェアで運営していたが、その後実験的に運営方法を修正、賃貸スペースも2階、1階と拡大していきながら、現在は井上仁行さんとヨシタケシンスケさんによる広告美術・デザイン事務所「スタジオ・ビッグアート特殊工作部」が、共同アトリエとイベントスペースの運営と管理をすべて取り仕切っている。同事務所では、代理店から発注を受け、デザイナーとの打ち合わせをしながらニュアンスを大事にした「美術メン」が、主に写真広告の被写体となる模型を制作している。そしてそこで得た収入の一部をビル全体の運営費にあて、「自立したアート」を成り立たせているのだ。

井上さんとヨシタケさんはともに筑波大学芸術専門学群を卒業した、アートユニット明和電機の後輩にあたる。井上さんは大学卒業後ソニー・ミュージックに就職して2年間、明和電機の活動のマネージメント担当をしていたこともある。そうしたつながりから広告美術・デザインの仕事を手がけることになり、またアーティストとの関係も築いてきたという経緯がある。今後のスタジオ・ビッグアートでの活動について、「(今までがそうであったように)ひとつの決まった形にとらわれずに、変えていきながら続けていきたい」とヨシタケさん。井上さんは「ぼくたちのスタイルに賛同してくれる若いアーティストにスペースを貸したい。それから、自分の企画を手がける機会を増やしたい」と意欲的に語る。

スタジオ・ビッグアートは3年前の2001年に行われた横浜トリエンナーレの開催期間と同時期に、ヨコハマポートサイドとともに、ラリー形式の現代美術のイベント「横浜イースタン・ラリアート」を開催、さまざまな展覧会やパフォーマンスを行うなど、アーティスト自らの手でイベントを作り上げた。同イベントには『闇を見つめる羽根』が今年のカンヌ国際映画祭監督週間短編部門に正式出品された自主制作映像作家の辻直之さんも、「スクラップ祭り」と題されたインスタレーションで参加した。来年秋には横浜トリエンナーレ2005が開催される。スタジオ・ビッグアートがどんなことを考え、実現させていくのか。今後の動きに目が離せない。

横浜イースタン・ラリアート(2001年)
studio BIG ART 2Fの共同アトリエ 作業をする井上さん、ヨシタケさん 特殊工作部制作のオブジェ 雑誌「ソトコト」表紙のオブジェも制作

■中華街の真ん中の骨太ギャラリー~爾麗美術

2000年10月、横浜中華街の延平門(西門)通りにオープンした「爾麗美術(ニレイビジュツ)」。TAO(道)ビルの2階にあがると、それまでの喧騒が嘘のように一転して落ち着いた雰囲気のスペースが現れる。約10坪、展示壁面約20m。オーナーの鈴木さん自身画家で、仲間の作家たちと共同出資してスタートさせ、今年で4年めを迎える。同ギャラリーのコンセプト「不易流行」は、鈴木さんの高校時代の、古典の先生の言葉からとられた。ジャンルは平面・写真・立体と問わないが、バングラディシュや中国、台湾などアジアの作家の利用が多い。また、中華街の真ん中という立地であるが、観光客が何となく訪れるというより、東京から、また藤沢や湘南の方から目的をもって見にくる客がほとんどだという。長引く不況下、経営は決して楽ではなく、鈴木さんは作家たちと新たな関係を築きはじめている。年に一度個展を行う作家の売れた絵の代金を、次の年に作家が個展を開くための費用とする。鈴木さんが「株主作家」と呼ぶこのスタイルは、作家たちとのコミュニケーションのなかから生まれてきた。作家とオーナーが、それぞれの立場でギャラリーを支え合って運営していくやり方と言えそうだ。

画家の喜多村紀さんは、世界的な絵本作家である弟のきたむらさとしさんとともに、よくこのギャラリーを利用する作家の一人。7月24日から行われる「五行でわかる日本文学」原画展では、ロジャー・パルパース著「五行でわかる日本文学」(研究社)の装丁・さし絵の原画が展示される。同書の翻訳をつとめた翻訳家の柴田元幸さんも。兄弟ぐるみの付き合いで、ギャラリーに遊びに来ることも多いそうだ。なお、意欲ある作家の作品はいつでも募集する。今後ギャラリーを運営していくにあたって鈴木さんは「新しい人とも昔からの人ともいい関係を築いていきたい」と語った。シンプルではあるが、「不易流行」のコンセプトと一貫する、オーナーの人柄に染み付いた発言であることが感じられた。

爾麗美術(ニレイビジュツ)
爾麗美術 オーナーの鈴木さん

■写真発祥の地横浜の拠点として~ギャラリーパストレイズ

JR石川町駅から徒歩3分、中華街へと続く通りにひっそりと佇むギャラリーパストレイズ。約10坪、15mの白い壁面に整然と写真が並ぶ。1984 年にオープン以来、20年にわたって年12回の作品展を行ってきた。写真通のなかでは知られたギャラリーで、東京から足を運ぶ客や業界人も多い。若い写真家や、日本では無名の海外写真家のオリジナルプリント作品を中心に、代表の井上和明さんが写真家を選定し、企画展示および販売を行う。専門で写真のディーリングをするギャラリーは日本では例が少なく、同ギャラリーを含めて全国で僅か5件だというから貴重だ。「若い有望な作家を見つけてプロモーションをするのがギャラリーの役目であり、面白いところでもある」と語る井上さんは、「目利き」としての才能を生かし、サザビーズやクリスティーズなど海外のオークションで購入した写真作品を日本の美術館に売り、ギャラリー運営の資金にあてている。しかし、近年は不況で美術館自体の予算が減少し、写真作品を買う客も年々少なくなってきているのが現状だ。不況でも華やかさを保つ銀座のような場所とは異なり、地方都市である横浜のギャラリーは岐路に立たされていると井上さんは見る。「横浜は日本の写真発祥の地、発展の地。だが、その歴史が今に続いていない。王道を行っている東京と違っておもしろい実験ができる土地なのだから、東京の方に向いている横浜人の目をもっと地元に向けさせたい」と井上さんは話す。

今後は1996年、1999年に開催以来中断されていた「横浜国際写真フェスティバル」を復活させるほか、写真のアーカイブ機関をつくるなど、94 年に4億円の巨額を投じて歴史的な写真と写真器材の「ネイラー・コレクション」を購入した横浜市ともうまく連携を取りながら、横浜における写真文化を根付かせ、残していく準備を進める。ギャラリーパストレイズの問い合わせは(TEL 045-661-1060)まで。

ギャラリーパストレイズ 代表の井上さん

■横浜最古のカフェ&ギャラリー、転換期に~画廊喫茶ペルコ

1959年10月創業、馬車道通りの関内ホールの向かいにある老舗画廊喫茶ペルコ。近年、カフェのスペースをギャラリーとしても利用する店が増えつつあるが、同店は、無類の絵画愛好家であった先代が店をかまえて45年、横浜最古の画廊喫茶として知られている。店内は約12坪、ジャンルは油彩・水彩・版画など平面のみ。先代の鈴木さんが2年前に他界して以来、2代目のマスターとして山里さんが引き継いでいる。先代は若手画家の「登竜門」とも言われた目利きで、客からも画家からも厚い信頼を得て画廊喫茶を運営してきたが、先代を失った今、同店は「画廊喫茶」として転換期を迎えている。山里さんも買い付けを手がけるが、不況のなかで運営は厳しく、画廊としての機能を縮小させ、先代の残した約200点の作品を交替で展示しているのが現状だ。山里さんの関心は、アートの拠点として45年続いてきた同店の歴史を次世代につないでいくことにあり、そのための第一歩として新規客の獲得に努めている。馬車道通りは平日はオフィス街だが、特にみなとみらい線開通後、週末に訪れる観光客は「馬車道」という昔ながらの雰囲気を味わいにやってくる人が多い。つまり、昼夜や一週間で人の流れが変わるという特徴がある。そんな立地条件を踏まえた上で、昼夜の営業を分けたり、オリジナルのアイスクリームを開発するなど、多くの人にペルコに触れてもらう機会を増やすための新しい方向を模索している。画廊喫茶ペルコの問い合わせは(TEL 045-662-3516)まで。

画廊喫茶ペルコ 店内の様子

■文化の玄関ヨコハマに根を下ろす~GALERIE PARIS

「日本のシャンゼリゼ」と称される日本大通りに面している重厚感ある歴史的建造物の1階に「GALERIE PARIS(ギャルリー・パリ)」はある。建物は明治44年に建設された日本初の鉄筋コンクリートのオフィスビル「三井物産ビル」で、その天井の高い展示空間で扱う作品は絵画、陶磁器、国内外の現代美術、工芸、版画など。オーナーの坪山紗織さんは70年代より、創作人形、手工芸などの手作り教室を経営していた。横浜でギャラリーをはじめた理由を「とにかく自分はアートがすき。緑や海もある横浜は東京より生活環境が絶対いい。文化の玄関口である横浜にあこがれて東京から移り住んですでに28年。ここで根を下ろしてがんばっていこうという気持ちではじめた」と語る。

GALERIE PARISが誕生したのは、1980年のこと。大桟橋入口にあるシルクセンターの地下1階でスタートした。その後横浜スタジアム脇に移転して、現在の場所は3ヵ所め。そのオープニングの個展は黒川紀章さんだった。GALERIE PARISではオープン以来、毎月3名ほどの作家の作品を扱っている。坪山さんはかつて県民ホールの裏の水町通りで人形、ポシェットなどの小物を販売するブティック「赤い靴」を開いていた。「赤い靴」は1980年、歌手の佐野元春さんのデビューアルバム「Back To The Street」のジャケット写真の撮影場所として使われた。それが縁で坪山さんと佐野元春さんとの交流が始まり、今年のゴールデンウイークには、佐野元春さん初の個展もこのギャラリーで行われた。20年以上の歴史のなかで、国内外の作家やお客さんとの関係も深まっている。「ギャラリストとして嬉しいのは、作家とお客さんと両方に喜んでもらえるような場をつくること。作家さんとのコミュニケーションをとりながら、作家のなかにある何かを探っていくのも楽しみの一つ。横浜のこれから伸びていこうとするアーティストを応援していきたい」と語る。GALERIE PARISの問い合わせは(TEL 045-664-3917)まで。

ギャルリー・パリ オーナーの坪山さん 佐野元春「Back To The Street」

■取材を終えて

それぞれのギャラリーが、不況下でもさまざまなスタイルを模索し独自のネットワークを築きながらアートを発信し続けていることが、今回の取材で見えてきた。一つ気になったのは、何より横浜に住む人々が、横浜のギャラリーに目が向いていない様子がうかがえることだ。通勤で通りすぎてしまうとか、ギャラリーの集積する東京都が近いなど、理由はいくつか考えられるだろう。だが冒頭でも触れたように、横浜市内には100以上のギャラリーがあり、個々のギャラリーのなかにアートは確実に息づいている。「三日住めばハマッ子」といわれるが、文化を支えるギャラリーに足を運ぶ、粋なハマっ子になりたいものだと感じた。

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