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発達障害のドキュメンタリー映画「だってしょうがないじゃない」坪田義史監督インタビュー

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 横浜・若葉町「シネマ・ジャック&ベティ」で公開中の「だってしょうがないじゃない」を監督した坪田義史さん。本作は、広汎性発達障害を持ちながら独居生活をおくる叔父、まことさんの元へ、自身も発達障害(ADHD/注意欠如多動性障害)と診断された監督が3年間通い撮影を続けた初の長編ドキュメンタリー映画。2人の交流からは、障害者の自己決定や意思決定の尊重、家族や親類が支える障害者の自立・独居生活の困難などを浮きぼりにしつつ、日常からの気づきと学びが投げかけられるバディムービー。年の瀬に関内のさくらWORKSで公開インタビューを行った。


インタビューに答える坪田義史監督

発達障害のグラデーションを映画に

―――映画が公開されてからの反応はいかがでしょう?

 2019年の11月2日から公開して、2カ月弱。大ヒットではありませんが、とにかく反応が良いです。僕が当事者として出演しているので、劇場で映画が終わってから見ていただいた方と対話ができる。つまり「4DX」で(笑)、僕がスクリーンから出て、実際に話をするというところまでが上映活動なんです。そういった広がりを作りたくてここまでやってきました。自主配給の宣伝は初めてで、ご支援を頂いているNPO法人横浜コミュニティデザイン・ラボの杉浦裕樹さんはじめ、アーツコミッション・ヨコハマ(ACY)の助成金制度も活用させていただいているので、ぜひ横浜で上映、宣伝したいと思いました。

―――映画の舞台は神奈川県で、坪田さんご自身も横浜の生まれ育ちです。

 鶴見の生まれです。まことさんは湘南の藤沢市辻堂に住んでいます。

―――神奈川のロケーションが多く登場するのも見どころでした。映画作家として劇映画から初めて長編ドキュメンタリー映画に挑戦する心境の変化や、ご自身の「障害」との向き合いかたを教えてください。

 大学卒業後すぐ、TVの報道特集枠で現場取材ディレクターから始めました。大学時代も虚実、フィクションとノンフィクションの境界線を狙った表現をしてきたので、その流れもくんでいます。映画を撮る経緯は僕が発達障害という診断を受けたからです。40歳を過ぎてから発達障害と定義され、疑問や納得もあり、しかしそれを言い訳にはできないなという部分もあり、目に見えづらい曖昧な定義が映画作家として火がついた。発達障害のグラデーションを、映画という表現でビジュアライズしたい。健常者が障害者を撮るのではなく、僕も障害を抱えながら障害を撮るという視点、映画監督としての特性を得た気持ちが生まれました。僕の被写体となる親戚のまことさんが圧倒的に魅力を放ち、独居生活の孤独を持ち、僕も精神疾患があって孤独があった。僕たちの出会いの化学反応を表現に持っていきたかったんです。

―――坪田さんは障害の特性を映画表現に昇華させたい思いがあります。ご自身と他の障害を持つ方との「ちがい」を感じたことはありますか?

 発達障害自体が、生活に支障をきたせば障害です。それが個性としてとらえられる部分もある。生きづらさを抱えて生活している方のほうが多いのかもしれない。しかし僕はサバイブで、障害をひとつの特性、個性として、今まで自分がやってきた表現行為につなげて、オリジナルの世界観をつくっていきたい気持ちがありました。僕も映画撮影と並行した時期に、福祉施設で移動支援・ガイドヘルパーとして働き、自閉症や知的障害のある方と接し、本当にみんな違うことが分かりました。彼らを外に連れ出す仕事には冒険があった。共生とか大きなことは言えませんが、障害は魅力的に見えました。規範や価値観から自由になれることは、純粋芸術を目指すときのヒントだと思います。

映画「だってしょうがないじゃない」リーフレット

障害の受容と他者を理解する試みに必要なカメラ

―――坪田さんはまことさんの存在を知らなかったのでしょうか?

 知りませんでした。まことさんは祖父の妹の息子にあたります。まことさんの亡くなったお母さんは、親族にまことさんの障害を伝えておらず、もしかしたら認めたくなかったのかもしれません。お葬式の際に映画の舞台となった家に僕の父が訪ねると、1人ぽつんといたのが、まことさんでした。彼はそれまで健常者として、40年間母子家庭として暮らしていた。彼の叔母が介護の仕事をしており、ちょっと違うぞと感じて、精神科を受けたら広汎性発達障害と診断されました。彼は何も仕事をしていない状況だったので、障害年金や福祉の支援を受けられるようになりました。まことさんが障害者と診断されてからまだ10年たっていません。

―――坪田さんが発達障害を診断され、まことさんに会うまで、障害のイメージはどのようなものでした?

 小さい頃は学校も普通級でした。何か劣っているなというところと、出っ張っているなというところでやってきた。とても遅刻が多く、僕の人生は遅刻みたいです(笑)。障害という捉え方ではなくサザエさん並みの「おっちょこちょい」という認識(笑)。昔から障害のある方と友達になりたい気持ちはありました。一日中絵を描いている養護学級のクラスを見て、僕も創作が好きだったので「あっちへ行きたい」と言ったら、すごい母親に怒られました(笑)。

―――坪田さんの過去作の人物造形も障害が密接に結びつけられています。

 アウトサイダーに惹かれていくというのは自分の特性かもしれません。僕のデビュー作「美代子阿佐ヶ谷気分」も、100日間を精神科に入院した70年代の漫画家の映画です。精神疾患により漫画が逸脱して雑誌に掲載されず…というところに惹かれました。2作目の「シェルコレクター」という映画は、盲目の貝類学者が離島で暮らして貝を集めてゆく映画です。今回3作目は発達障害がテーマで、精神や身体に障害を持つ人をずっと描いてきました。

―――映画ではまことさんにあいさつして合流するシーンがよく出てきます。訪ねてカメラを回して撮られている自覚を、まことさんはどう受け入れていたのでしょうか?

 最初に僕は映画監督ですという自己紹介をしました。そこから交流がはじまり、不思議とカメラを意識せず、むしろ交流を楽しんでくれていた。頭の中の企画書では僕もまことさんも発達障害なんだというのがあって、だったら僕も自然にいきたい。ツーショットの絵が無く、単に撮っているだけでは映画として成立しない。最初は人生初の自撮り棒を買い、ツーショットを撮影していたのですが、映画的ではなくユーチューバ―みたいになってしまい(笑)、いや僕の目指す映画は「レインマン」で、僕がトム・クルーズなんだ!みたいな(笑)…全然そんなわけないんだけど。もう1人の視座が欲しくなり、協力して一緒に作ってくれる仲間を増やし、やっと映画が立体的になりました。

―――演出的な手法が変わったということですか?自分が撮るだけではなく…。

 最初は僕の主観でやっていたけど違う!となり、カメラを交流のツールに変えるには?と考え、もう1人の信頼のおけるカメラマンと、映画にするぞと舵を取りました。

―――その変化が劇中で分かりました。台本が全てあるわけではない、3年間の流れがそのまま考え方の変化も含めて投影されているように思いました。

 自己理解と、他者の理解が時間をかけてゆく中で生まれたものがあります。最初と今のまことさんのイメージはもちろん違うし、まだ分からない部分もある。僕の障害の受容と他者を理解する試みにカメラがあって、関係を作っていった記録です。


坪田監督(左)と、まことさん

まことさんの時間を理解してゆく

―――傾聴ボランティア、ソーシャル・ワーカー、スタジオ・クーカの方など、いろいろな方が登場します。「傾聴」という言葉はとても重要だと思います。

 傾聴は耳を傾け、他者を理解するということで、学びでした。傾聴ボランティアが独居生活のまことさん家に月に2回、それも5、6年続けている。自己本位に自分の話をするのではなくて、まことさんの言葉を引き出す。映画監督としてもシナリオでは書けない言葉が生まれることにも驚きました。人の話を聞いて、長い時間をかけて理解してゆく。傾聴を繰り返し、その中で浮かび上がってくるものはすごいなと感嘆します。

―――お二人の距離が時間をかけて近づきます。冗談やツッコミの応酬も生まれ、距離の縮まり方を意識的に絵にしようという考えはありました?

 意識せず自然でした。被写体のまことさんの時間が分かってきた。多動の僕のピッチと、まことさんの生活、一つ一つの確認作業のピッチは全然違うんです。そういったものが3年をかけるとリンクしてくる。まことさんの反復的な常同行動がカメラに写されていますが、最初は撮影を止めて手伝うなどして、撮影もできなかったが、待てるようになりました。制作時間が、まことさんの時間を理解してゆく時間として描けるかなと。

―――まことさんのリズムをつかんでのコミュニケーションですね。

 そこに美を捉えたくて。彼の所作、反復する動きは被写体の生きざまを映し、背景には、亡くなったお母さんとの40年間がにじみ出て、60歳を超えた彼の生活空間に昭和のノスタルジックな時代が見えてくる。映画という動くフレームの中にいろいろな情報が詰まっていて、発達障害という曖昧な定義が浮かび上がればという思いで撮影しました。

―――まことさん自身はご自身の障害とどう付き合って、理解してきたのでしょうか?

 「しょうがない」というタイトルにもある言葉が、膨大な撮影データを見直すと結構ボソボソと出てくるんです。諦念の意味もあるけど、受容して次に向かっていく意味合いも持つ言葉です。まことさんは傷つかない強さを持っており、精神疾患で薬を飲んだりもしていません。失敗しても「だってしょうがないじゃない」でサバイブしています。

―――「叔母さん」は成年後見人という存在です。家やお金のことを助言してくれる彼女は、まことさんの支えになっているように見え、とてもリアルでした。公的な社会福祉の支援についてはどうお考えですか?

 支援が無かったら独居生活は難しい状況かもしれません。軽度でも知的な障害を抱える方の自立した生活は、高齢化が進む中で必ず出てくるし、施設の多様化が進みつつも、独居や自立をしていける機運も高まっていると思います。僕も最初は、支援者が高齢化に伴い、独居は難しいのではないかと思っていました。病気や災害なども心配でした。それに、まことさんは住み慣れた生活空間にいたい意思があった。周りの安心とまことさんの安心は違う。障害者の自己決定や意思尊重のジレンマも見てきて、どうしたらいいのだろうといまだに悩んでいます。とても良い施設で3食の食事や共有スペースでの会話があれば孤独ではないのかなとか、でも自分の家で住みたいよねとか考える。あとはお金です。家の土地自体が借地です。傾聴はしても現実と向き合いながらです。

―――坪田さんがまことさんを外に連れ出し、どのような気持ちで外部との関わりとつなげようとしたのかが気になりました。

 まことさんが働かずに生活をしているということにたいして考えたら、いろいろな作業所などもあります。社会に出ていけるのではというキッカケと、次に向かうトレーニングにもなるのではと。まことさんはアートではなく、最終的に歌でしたが…(笑)。政治家による生産性を求め、働かざるもの食うべからずといった論調もありました。相模原障害者施設殺傷事件(津久井やまゆり園障害者殺傷事件) や政治家の差別発言に僕は加担したくはありません。最初は「障害者」の漢字に「害」がつくのも嫌で、平仮名にしたいと僕も思っていた。でも勉強をしてゆくと、社会が作りだした「害」に対して向き合っていくのであれば、あえて「害」を使った方が良いと思うようになりました。

―――この映画は地域で自主上映してほしいという呼びかけをしています。

 僕がこの映画に出ているので、僕が上映後に出ていくまでが上映活動です。当事者の研究会でも何でもよいですし、話しやすい環境で皆さんにぜひ活用してもらいたいです。


インタビュアー(左)と坪田監督

 インタビューには20人以上の方がかけつけ、質疑応答も大変盛り上がった。坪田さんやまことさんたちと共に、私たちも発達障害を受容する契機となる映画をぜひ見てほしい。

上映予定:シネマジャック&ベティ

1月11日(土)~1月17日(金) 11時25分~13時30分
1月18日(土)~1月20日(月) 12時45分~14時50分
1月22日(水)~1月24日(金) 12時45分~14時50分
1月25日(土)~1月31日(金) 10時55分~13時05分
2月1日(土)~2月2日(日) 21時5分~23時05分
2月3日(月)~2月7日(金) 13時5分~14時05分

坪田義史監督舞台挨拶
1月17、19、22、25、31日上映後

詳細はシネマジャック&ベティWEBサイト

インタビュー・文
小林野渉+ヨコハマ経済新聞編集部
2019年12月30日 さくらWORKS<関内>

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