特集

いよいよ始まる「横浜レゲエ祭2007」
今年のテーマ“THE ReBIRTH”に込められた思い

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■横浜をベースに世界のレゲエシーンで活躍するMIGHTY CROWN

レゲエ祭の主催など横浜のレゲエシーンを牽引してきたマイティ・クラウン

 横浜レゲエ祭を主催するのは、横浜出身のレゲエグループMIGHTY CROWN (マイティークラウン)。MIGHTY CROWN はMASTA SIMON(マスタサイモン)、SAMI-T(サミーティー)、COJIE(コージー)、SUPER‐G(スーパージー)の4人のメンバーからなる、地元・横浜をベースにアメリカやカリブ諸国など世界で活躍するレゲエグループだ。

横浜レゲエ祭2007オフィシャルサイト(Mighty Crown Entertainment)

 結成は91年。92~94年頃まではメンバーが入れ替わりで海外に出ながら個々に活動を積み重ね、94年のサウンド・システム(移動式スピーカー・システム)の完成と共に国内での活動を本格化。「サウンド・システム」とは、移動式の野外ダンスパーティを提供する音響設備、または提供する集団を指す言葉で、レゲエという音楽ジャマイティ・クラウンが誇るサウンド・システムンルにおいて欠かすことのできないものだ。一般的なサウンド・システムは、移動式の巨大なスピーカー・セットとアンプセット、ターンテーブルなどで構成されている。また、集団(クルー、またはサウンドマンと呼ばれる)としてのサウンド・システムは、曲をかける「セレクター」、曲に合わせてしゃべったり歌ったりする「DJ」、セレクターのかける曲を説明するなど会場を盛り上げる「MC」、スピーカー・セットをより強大なものに保つ「エンジニア」からなっている。

 こうしたサウンド・システムの特徴的な興行形式が、「サウンド・クラッシュ」(単にクラッシュとも言う)と呼ばれるショーだ。これはサウンド・システム同士が決まった時間で交互にそれぞれの曲をあるルールの下でかけ、MCやDJが巧みな言葉で相手のサウンドをなじり合い、どちらのサウンド・システムが盛り上がったかを観客が判定するというもの。MIGHTY CROWN は99年の世界大会ワールドクラッシュで優勝という快挙を成し遂げ、以来、世界のレゲエシーンの第一線で活躍を続けている。ジャマイカで行われた今年の世界大会でも優勝を果たした。

■地元でリスペクトされなかったら、世界に出ても誇りを持てない

地元・横浜への愛着を語るMASTA SIMONさん 横浜出身のMASTA SIMONさんは、レゲエとの出会いをこう語る。「本牧や新山下のクラブへ遊びに行った時に、出演していたサウンド・システムを見て憧れたのがキッカケ。自分たちでもやってみようっていうのが、MIGHTY CROWNの始まりかな。最初期には、メンバーみんなの家庭用のスピーカーを集めて野外とかでやってたんだけど、海外のクラッシュとか見てると全然違うなぁって(笑)。コレじゃダメだと思って、アメリカからスピーカーを買ってきたりして、徐々にサウンド・システムを組んでいったんだよね。スピーカーって消耗品だから、アンプもオーバーホールしたり、直して直してで…。奥深くて、なかなか目標には辿り着けないんだよね。いつも不満があるっていうか…。それでもスピーカーを作ろうとか、ダブプレート(特殊な素材を使って作られるサウンド・システムのためのレコード)を録ろうとか、次はこの箱(クラブやライブハウス)でやってみたいとか、そういう目標を持って徐々に成長してきたんだよね」。

 日本国内にとどまらずグローバルな活動を展開するMIGHTY CROWNだが、活動のベースはあくまでも地元・横浜。MASTA SIMONさんは、地元への愛着を次のように話す。「地元でリスペクトされなかったら、外に出ても誇りを持てないと思うんだよね。ベイブリッジを越えると(海外から)横浜に帰ってきたなぁって。横浜って本当に愛せる街っていうか、昔からカッコイイって思ってる。グループサウンズのゴールデンカップスとか、ジャズだったりとか、常に最先端を行ってる。先輩のその上の世代の先輩も音楽でつながってるんだよね、つながりがすっごいあるから、横浜って。形は違うけど、今の最先端が横浜レゲエ祭かな。何か受け継いでるものってのは確実にあると思う。(横浜には)惹かれる何かがあるっていうか。昔からカッコイイ街で、もっとカッコイイ街にしたいね。1年に1回かもしれないけど、そのキッカケがレゲエ祭になってくれればなぁって」。

 第1回の横浜レゲエ祭がスタートしたのは、MIGHTY CROWN結成から4年後の95年。メンバーが入れ替わりで海外へ行き来する中、夏と冬はメンバーが横浜に揃っていることが多かった。じゃあ、その時に何かできないかと企画したのが横浜レゲエ祭だったという。現在でこそ、横浜スタジアムで3万人もの観客を動員するほどの一大イベントとなった横浜レゲエ祭だが、当初はライブハウスに150人程度の観客を集めるレゲエ好きのためのイベントに過ぎなかった。

■レゲエ人気の急速な広がりに拍車をかけたイベントだった

 その記念すべき第1回目の横浜レゲエ祭の舞台となったのがCLUB24。JR関内駅からすぐ、吉田中学校の隣に位置するこのライブハウスは、これまでに横山剣(CRAZY KEN BAND)やJUDY AND MARY、エレファントカシマシ、山崎まさよし、ASIAN KUNG-FU GENERATIONなど、現在でも第一線で活躍するアーティストが出演しており、今年でオープン18年目を迎える。

CLUB24

第1回目のレゲエ祭の会場となったCLUB24「当時の音楽シーンはバンドブームの全盛期で、まだレゲエなんて人気がなかったですね」と、CLUB24プロデューサーの丸山英一郎さんはオープン当初を振り返る。CLUB24がオープンした90年当時は、89年に放送開始した音楽オーディション番組「イカすバンド天国」(TBS系)が「イカ天」の愛称で人気を集めていた時代で、この番組出演をキッカケに数多くのバンドがデビューするなど、バンドブームの全盛期だった。その後、バンドブームの終焉とともに、ヒットチャートなどにはランクインしないものの、クラブやライブハウスなどでレゲエやヒップホップといった音楽ジャンルが若者に人気を集めるというアンダーグランド的な動きが見られるようになる。

CLUB24のステージには様々なアーティストが立ってきた「横浜レゲエ祭には特別な“何か”を感じていた」と話す丸山さんだが、第1回横浜レゲエ祭について次のように語る。「当時はレゲエという音楽が急速に広がろうとしていました。そのキッカケとなったのがMIGHTY CROWNであり、彼らが主催する横浜レゲエ祭だったと思います。アーティストや観客の双方とも、このお祭りから何か始まるのではないかと感じていたのではないでしょうか」。その後も97年までの3年間、横浜レゲエ祭はCLUB24で開催された。「飲んで騒いで、手を挙げ、ただただ楽しかった。だからこそ今考えると、こういう風に3万人のお客さんが集まって日本を代表するレゲエのイベントになるのは必然だったのかな、と思います」。現在、CLUB24では毎月第4木曜日「Soul Power」、2ヵ月に1度「GOOD OL' DAYS」というパーティーを開催。MIGHTY CROWNも参加しているこのパーティーでは、いつもの横浜レゲエを楽しめる。もう1つの横浜レゲエ祭をCLUB24で体験して欲しい。

■毎年、長蛇の列ができる「MIGHTY CROWNの洋服店」

マイティ・クラウンのファンが集まる「ラガチャイナ」 横浜レゲエ祭が開催される前後になると、混み合う洋服店がある。マリンタワーのすぐ近くにある「RAGGACHINA(ラガチャイナ)」だ。地方から横浜レゲエ祭に参加する人たちが、同店のオリジナルブランドIRIE LIFE(アイリーライフ)、IRIE BERRY(アイリーベリー)などの商品を求めて集まり、毎年長蛇の列を作る。「レゲエ祭の2~3日前から地方のお客様が大勢いらっしゃいます。レゲエ祭の前後は朝から混雑するので、開店後は入場制限をして買い物をしていただいています。暑い中お待たせするのは大変申し訳ないのですが、安全確保のためでもあるのでご理解いただければ」とスタッフの鈴木さん。

RAGGACHINA

 レゲエ関連の洋服店として大人気の「RAGGACHINA」だが、その始まりは乾物や中国茶を扱う中華食材店だったということをご存知だろうか? MASTA SIMONとSAMI-Tの兄弟(MIGHTY CROWN)と、彼らの親戚でMIGHTY CROWNの結成メンバーでもあるレゲエグループFIRE BALLのメンバーJUN 4 SHOTの祖父が、約40年前に中華街の関帝廟通りに中華食材店「生利公司」を開店したことに端を発する。その後、孫の3人が店を継ぐ際に洋服店「生利ラガチャイナ」としてリニューアルしたのが10年前。様々なアーティストとのコラボレーション商品の販売もしており、6月28日には開店10周年を記念してIRIE LIFEとSAMI-Tの限定コラボレーションTシャツを販売。前夜から長蛇の列ができ、開店後 1時間ほどで完売した。

今年のレゲエ祭でも混雑が予想されるラガチャイナ 同店がオープンした97年は、折りしもMIGHTY CROWNが初の全国ツアーを敢行した年でもあった。「10年前はレゲエシーンが確立しておらず、横浜レゲエ祭も動員数400人ぐらいの規模でした。10年で日本全国から人が集まるほど大きくなったんですから、これからの10年後を想像すると楽しみですね。子供からお年寄りまでレゲエを聴いて、RAGGACHINAの支店が全国にできて、オリジナルブランドの服を着てくれてたら嬉しいですね」(鈴木さん)。今年のRAGGACHINAも混雑が予想されるが、17~18時の間は例年比較的空いているとのことなので、来店の時間を少しずらしてみてはいかがだろうか。

■レゲエシーンのターニングポイントとなった2002年

開店当初から横浜レゲエシーンを支えてきた「北中45レコード」 JR横浜駅相鉄口、岡野交差点を渡って平沼橋陸橋そばのレコードショップ「北中45レコード」。同店はレゲエのレコード中心の品揃えで、開店当初から横浜レゲエシーンを支えてきた。「オーナーの北中さんは、サウンドシステムBanana Size Hi-Fi(バナナ・サイズ・ハイファイ)のメンバーとして、80年代末から横浜レゲエ界の基礎を築いてきた存在です」と、店長の太田さんは話す。現在も7インチシングルの新譜を週2便以上で入荷、横浜レゲエシーンのセレクター(選曲者、いわゆるDJ)たちから絶大なる支持を受けている。

北中45レコード

 とはいえ、90年代まではレゲエは一部の好事家のための音楽に過ぎなかった。だが、2002年前後からレゲエ人気が急速に高まってくる。レゲエという音楽が、アンダーグランドからオーバーグランドへ浮上したのだ。2002年、レゲエシーンで人気を誇っていたショーン・ポールが2ndアルバム「ダッティ・ロック」で本格的にブレイク。本国ジャマイカで2001年にリリースされた同アルバムからの1stシングル「ギミー・ザ・ライト」がアメリカに飛び火し、全米シングル・チャートで最高7位、2ndシングル「ゲット・ビジー」が全米1位を記録する。「ショーン・ボールの一連のヒット曲は、手拍子とハウスミュージックっぽいバスドラムの音が受け、それまでレゲエを聴かなかった人たちがレゲエを聞くようになりました。お店には『ヒットしたあの曲が欲しい…」というお客様が増えましたね」(店長・太田さん)。

ショーン・ポール公式サイト

横浜のレゲエDJたちの信頼も厚い 一方、日本のレゲエシーンでも同様のことが起こる。2001年7月2日付の音楽専門誌『オリコン』の週間シングルチャートで、三木道三の「Lifetime Respect」が日本のレゲエ史上初の第1位を記録する。この曲はミリオンセラーとなり、クラバーたちの音楽だったレゲエがお茶の間にまで浸透するキッカケとなった。こうした動きに呼応するかのごとく、横浜レゲエ祭もこの時期から規模が急激に拡大する。2002年は横浜ベイホールで初の2日間開催、翌2003年には会場を八景島シーパラダイス・マリーナヤードへ移し、前年の2倍以上という1万人の観客動員を記録。「横浜といえばレゲエ」というイメージが定着したのもこの頃だ。

■どんなにスケールが大きくなっても、遊び心だけは変わらない

「横浜のレゲエシーンにはいい先輩がいて、若い世代が学べる環境がある」と話す もっとも、大規模なレゲエフェスティバルが開催されるのは、何も横浜だけではない。大阪で開催されている「HIGHEST MOUNTAIN」も昨年、舞州浜野外特設会場に2万5000人もの観客を集めた。「東の横浜レゲエ祭」「西のHIGHEST MOUNTAIN」と並び称され、全国各地で開催されるレゲエイベントの中でも双璧をなす存在だ。小さなライブハウスの100人単位のイベントから現在の大規模なものに発展していったことや、その後のレゲエシーンの形成に中心的な役割を果たしたことなど共通点も多い。だが、横浜のレゲエシーンは他とは違う独特のものがあると、前出の太田さんは話す。「ここにはいい先輩がいて、若い世代がいろいろ勉強できる環境があります。先輩たちの現場を手伝ったりしながら、人脈ができたり、曲や機材の知識が付いたり、イベントのやり方のアドヴァイスをもらったり…。いい意味でのシーンができているのではないでしょうか」。

 さて、“THE ReBIRTH”と題された今年の横浜レゲエ祭、今回も昨年以上の盛り上がりとなることは間違いないだろう。前出のCLUB24プロデューサーの丸山さんは「第1回目と変わらない気持ちで、アーティストには去年以上の楽しさを提供してくれることを期待して、お客さんには気持ちを込めてWicked(最高)!!」とエールを送る。一方、MIGHTY CROWNのMASTA SIMONさんは、今年のテーマである“THE ReBIRTH”についてこう話す。「長いことやってると、やり始めた頃のこと、初心を忘れはしないけど、薄れていっちゃう瞬間がある。オレらはどこから来たのか、忘れちゃいけない。やってやるぜっていうのは今も変わらないし、お客さんを常に楽しませたいし、自分たちも楽しみたいね。そんな気持ちで掲げたテーマ」。

 ハマっ子であるMASTA SIMONさんにとって、横浜はMIGHTY CROWN結成以前から遊び場だった。仲間たちとスケボーで遊んだ山下公園、横浜公園、関内駅や石川町駅周辺…。また、レゲエと出会った本牧や新山下のクラブやライブハウス…。世界的なレゲエグループとして活躍する現在、遊び場だった横浜は自らの活動拠点という「仕事場」であったりする。だが、それでも変わらないのが、昔から持ち続けていた「横浜で何か楽しいことをやってやるぜ」という“遊び心”。横浜レゲエ祭を始めたのも、そうした遊び心からだろう。「もっと違うことをやってみようとか、こんなことできないかなって、常に考えて変えていく。Road to レゲエ祭(レゲエ祭のトップバッターを決めるイベント)とかも大きくなれば、地方で予選会とかやってもいいよね。格闘技みたいに、いろんなところでやって最後は横浜で、みたいな。そういうのもありかなって」。

 どんなにスケールが大きくなっても変わらない遊び心――。今年の横浜レゲエ祭のテーマ“THE ReBIRTH”とは、MASTA SIMONさんのそんな思いが込められているに違いない。

笠原誠 + ヨコハマ経済新聞編集部

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