特集

伝統と開放が融合する絶妙なバランス。
最先端を行く横浜中華街のまちづくり

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■来街者数は年間2,000万人、日本最大のチャイナタウン

横浜という都市のイメージを決定づけるものとして、横浜中華街の存在は大きい。横浜中華街は中区山下町界隈の約500メートル四方に、約250店の中華料理店が集中しており、日本全国の商店街の中でも巨大中華料理店街として、特異な位置を占める。しかし、たとえば東京の秋葉原が電気街として、あるいは目黒通りがインテリアショップ街として発展を続けているように、同業者が集まることによって独特な雰囲気が醸し出され、首都圏はもちろん全国、さらに海外からも観光客を呼び込める情報発信力を持つようになった街でもある。

横浜中華街には広東、北京、上海、四川、台湾、福建、薬膳、点心など、あらゆる種類の中国料理が味わえるだけでなく、お土産屋、テーマパーク、中華食材店、喫茶など、日本にいながらにして中国情緒を満喫できる、さまざまな業種の店が揃っている。来街者数は年間2,000万人にも上り、“日本三大中華街”と総称される横浜、神戸、長崎のチャイナタウンのうちでも、規模、集客数ともに段然トップである。その賑わいぶりは、ニューヨーク、サンフランシスコ、ロンドンなど、世界の中華街と比べても引けを取らない。

しかし、横浜中華街の華人(日本国籍を取った中国系住民)、華僑はおよそ3,000人と言われ、ニューヨークのチャイナタウンが34万人の人口を持つのと比較すると、チャイナタウン人口が非常に少ない。欧米、東南アジアのチャイナタウンは、数万、数十万の単位で華人、華僑が住んでいるのとは事情が異なる。

そのため、巨大飲食店街を維持、発展させていくには、横浜という街に根を張り日本人と共存しながら、日本人を対象に商売をする道を選んでいった。経済発展を背景にグルメに目覚めた日本人が、世界三大料理の一つであり、歴史的にも過去に多くのことを学んできた中国のカルチャーである、中国料理を好んだという追い風は無論あった。

しかし、横浜中華街の飲食店の経営者は華人、華僑が大部分であるものの、従業員には日本人を多数雇用しており、華人、華僑が日本のカルチャーを柔軟に受け入れてきた点も見逃せない。中華街に食材を納入している業者も、日本人が大多数である。そうした、横浜中華街のまちづくりは、どのように行われているのだろうか。

横浜中華街 横浜中華街の朝陽門 あらゆる種類の中国料理が味わえる 日本にいながらにして中国情緒を満喫できる

■華僑社会の国際性と創造性をはぐくむ -横浜山手中華学校

まちづくりの基礎になるのは人づくりということで、中区山手町にある横浜山手中華学校を訪問してみた。同校のルーツは、約10年を横浜や東京など日本に滞在した中国革命の指導者、孫文の提唱によって1898年に建てられた華僑子弟を教育する大同学校など3つの学校。生徒は幼稚部、小学部、中学部あわせて409人が学び、華人、華僑の教師、中国から招いた教師、日本人の教師が一丸となり、日本の教育機関としてのカリキュラムに基づいた指導はもちろん、中国語をはじめ中国文化の継承を重視。バイリンガルにして創造性を備えた、国際色豊かな人材育成を目指している。

横浜山手中華学校

昨年、9月28日~12月18日まで、横浜山下ふ頭の倉庫2棟をメイン会場に開催された、世界の芸術家の作品が展示された現代美術の祭典「横浜トリエンナーレ2005」に、同校の生徒有志が参画。小学校5年生から中学2年生までの24人が、「横浜トリエンナーレ子ども放送局」として活動し、全10回のワークショップを行った。これは子供たちが企画を練って、取材、録画、ナレーション入れ、パソコンで編集までを行うもので、番組そのものを作ってしまおうというものだ。

YCAN トリエンナーレ子ども放送局が行く!

子供たちは役割分担を決めて、トリエンナーレ総合ディレクター、美術家の川俣正氏らにも臆することなく取材し、大人顔負けの表現に対する旺盛な意欲を見せたという。また、そのうちの16人が「キッズ・キュレーター」として、会場の作品を来場者に解説した。11月6日より、6回のワークショップとして組まれ、1日に2度、メイン会場内で顧客を前にギャラリートークを行った。最初に入口で全員が来場者にあいさつを済ませて、自分の気に入った解説担当の作品の前に散ってスタンバイし、最初に解説にあたった生徒から順々にバトンタッチして、来場者の列に合流し、出口では子供全員が集まっているといったような方式を採用した。子供たちはクイズを出してみたり、笛を吹いて注意を促したり、プレゼントを持参するなど、大人では思いつかない自由な発想で、作品の魅力を伝えた。

指導にあたった美術科の王節子教諭によれば、「子供たちが街に出ていって、アートの素晴らしさを体験できたのは、非常に大きいと思っています。現代アートというのは確かに理解しにくい面がありますが、子供たちの目で生き生きと表現されることで、少しでも多くの人が身近に感じられたなら、うれしいですね」と語る。王先生自身、華僑2世であり、美術を通して横浜中華街のまちづくりに協力し、トリエンナーレの企画にも参加している。王先生はアートには国籍、人種を超えた共感、コミュニケーションで、人々を結びつける力が宿っていると考えている。子供たちがアート体験によって、ユニバサール・カルチャーを身につけていくことで、横浜の華人、華僑社会の将来展望も開けていくのだ。

中国革命の指導者 孫文 横浜山手中華学校 キッズ・キュレーター キッズ・キュレーター 横浜山手中華学校美術科の王節子教諭

■「伝統的な価値観」と「ユニバーサルな気風」の両輪

一方で、王先生は華人、華僑は中国古来の伝統についても、尊重すべきであるという考えのもと、水墨画を授業で教えるなどの指導を実践している。中国人は龍の生まれ変わりであるといった伝承があり、龍は大変に縁起のいい想像上の動物だ。辰年にあたった2000年には、近隣の横浜中華学院、元街小学校、港中学、港商業高校(現・港総合高校)の5校の子供たちの代表者と、ニューヨークのチャイナタウンの子供たちの代表者の海を越えた共同製作が実現。「レインボードラゴン」という作品を作成して、西門通りの「九龍陳列窓」の企画展で展示した。華人、華僑が伝統を守りながらも、どのようにボーダーレスに世界へ開かれていくかが、大きなテーマになっているようで興味深い。

今回のトリエンナーレは、横浜中華街も会場の一部となった。話題を呼んだのは、西野達郎氏の作品「ホテルヴィラ會芳亭」である。これは横浜中華街の山下町公園に高級ホテルの一室を作るというもので、中国風の建築物に対してイタリアの高級家具「カッシーナ」でインテリアをまとめ、昼間に見学するだけでなく、夜は1日1組、2人までが宿泊できる施設であった。会期中に約2万8,000人が訪れた。山下町公園はかつて明治初期に、劇場と料亭を兼ねた娯楽場「會芳楼」のあった場所にあたり、中国人のみならず日本人、西洋人にも人気があった。港町・横浜らしい「會芳楼」の世界の人が集う精神を、今の時代に受け継ごうといった狙いのアートであった。

また、オープニングの9月28日と29日には、北京のアーチスト集団「ロングマーチプロジェクト」の作品である獅子舞を行った。これは「ロングマーチプロジェクト」によるアーミー柄のオリジナル獅子と日頃横浜中華街で踊っている南方獅子の2体で、インスタレーションを行うというものであった。このように横浜中華街の古い価値を保ちつつも、ユニバーサルな性格を持つ魅力は、文化発信の場としてトリエンナーレを機に改めて注目されたといっていいだろう。

水墨画を授業で教えている 海を越えた共同製作「レインボードラゴン」 ホテルヴィラ會芳亭 「ロングマーチプロジェクト」の獅子舞

■日本の開港で重要な役割を果たした華僑

横浜中華街の形成にあたり、そもそもいつ横浜に華僑が来たのかというと、幕末の1859年に、江戸幕府が鎖国を解除して横浜を開港するにあたり、西洋人とともにやって来た。華僑たちは買弁と呼ばれ、言葉が通じない日本人と西洋人の間を取り持って、一種の通訳を行った。中国にはその10年ほど前から、西洋人が居住して行政権と警察権を握る租界が、上海、広州などの港町につくられ、英語などを理解する人材が育っていた。中国人は日本語を話せる者は少なかったが、日本人とは筆談が可能だった。それで通訳として重宝され、貿易の商談には欠かせない存在となった。

上海、広州などの租界をまねて、1863年に現在の山下町一帯に山下居留地が開設。つまり、もともと横浜中華街のある場所は洋館が立ち並び、華僑が西洋人と共存する治外法権的な居留地であったのだ。華僑の経営する印刷所で日本人が働くなど、華僑は西洋の技術を日本に伝える役割も果たしたという。1867年には山下町の人口増加に伴い、現在のほぼ山手町と元町一帯に山手居留地が増設され、西洋人は山手に住んで山下に通勤するスタイルを取ったのに対して、華僑たちは山下に根を張っていく。

明治維新を迎えて、1873年には初代の関帝廟が完成。関帝廟は『三国志』にも登場する武将、関羽を祀る。義を重んじ商才にも長けていたことから、中国人の関羽への信仰は厚い。現在のスケールアップした関帝廟は4代目で、1990年に完成している。1899年、日本が西洋諸国との不平等条約を解消すると内地雑居令が制定され、居留地は廃止されて、外国人は日本のどこに住んでも良くなった。日本人も旧居留地に自由に住めるようになった。その頃すでに、華僑人口は3,000人に達したが、中国料理店は10軒ほどでしかなく、弁髪で洋服を着こなすモダンな貿易商が多かったようだ。

市場通り 休日やお昼時は多くの人通りで賑わう 関帝廟

■マンション建設を拒み「媽祖廟」建立 -徹底したまちづくり

戦後、1953年には横浜商工会議所はサンフランシスコのチャイナタウンを視察し、当時の平沼横浜市長により、横浜中華街を元町、山下公園とセットで観光地化する計画を発表。55年に華人、華僑たちが団結して初の牌楼(現在の善隣門)が完成。70年代までに東西南北の4つの門が相次ぎ完成する。64年に根岸線石川町駅も新設されて、アクセスも便利になった。70年代には共産党側と国民党側に分かれて学生が抗争する時代もあったが、日本人の日中国交回復による友好ムードと、グルメブームもあり、次第に中華料理店街としての名声が高まり、中華街大通りを中心に店舗も増えてきた。そして、86年にはまちづくりを主導する横浜中華街発展会を核に、中国の旧正月である春節祭が祝われるようになって、日本にいながら中国情緒が体験できる横浜中華街のイメージが、日本人に定着するようになった。

横浜中華街の戦略は、日本の他の商店街と差別化するために、中国らしさをいかに表現するかを重視しており、歴史、文化の復興に熱心である。今年3月17日、南門シルクロード通りに竣工する媽祖廟(まそびょう)建立にも、そうした考え方が反映されている。海の女神、媽祖様は華僑を多く輩出した中国沿岸部や台湾で信仰が厚く、明治の文献にも初代関帝廟に、媽祖様を意味する天后宮が祀られていた記録がある。媽祖様は宋代に実在した女性で、神通力で邪を払い病を治したと言い伝えられており、26ヶ国約1,500ヶ所で媽祖様が信仰されているという。

媽祖廟

ところで、媽祖廟が建立される場所は、かつて清国領事館があった場所で、大京によってマンション建設が予定されていた。しかしまちづくりの観点から反対運動が起こり、中華街側が10億円で土地を買い取り、その土地に5億円を投じて媽祖廟を建設するという豪快な解決策に至ったのだ。横浜銀行から借入れてつくったその資金は、世界中の華僑から寄付をつのり返済するという。横浜中華街がいかにブランドイメージを大切にしているか、また華僑のネットワークがいかに強いかを、物語るエピソードだ。一方で、同じ中国人でも誰でも歓迎はしない。違法な入国者を一切排除する保守性、厳しさも持っているからこそ、世界一安全で安心して歩けるチャイナタウンを実現できているのだろう。

昨年春には中華街大通りの電柱を地下に埋め、植樹をして、バリアフリー化を進めた。高齢化社会を想定した街並みづくりでも先端を走っている。また、案内役として「横浜中華街コンシェルジュ」をこれまでに47人認定しており、それぞれの店で働きながら、中国の文化や横浜中華街について、質問に答えている。朝陽門前には「チャイナタウン80」というインフォメーションセンターを設置し、ガイドが常駐し、パンフレットも揃っている。一つの商店街として見ても、ここまでサービスの行き届いたところは、日本には少ないだろう。

横浜中華街公式サイト 横浜チャイナタウン
横濱媽祖廟完成予想図 海の女神、媽祖様 媽祖廟建設予定地 チャイナタウン80

■「上海租界」を再現した初のテーマパーク -横浜大世界

コンセプトに合う施設ならば、日本人経営者の提案も受け入れる懐の深さもある。2003年11月、天長門前で営業を開始したテーマパーク「横浜大世界」は、横浜のディベロッパーであるオーヴァルを母体にしている。1920~30年代のハイカラな上海の雰囲気を再現した8階建ての建物で、往時の上海を物語る展示物があるだけでなく、ステージでは中国から招いた演者による京劇のダイジェストが見学できたり、琵琶などの伝統的な楽器演奏が楽しめる。また、中国の伝統工芸、龍鳳文字(花文字=象形書道)や切り絵が実演されており、匠の作品をその場で買えるのも売りになっている。

横浜大世界

チャイナ服のレンタル衣装、足裏マッサージ、手相占いのコーナーもある。また、3層吹き抜けの中華料理店街や本格コースを味わえる中国料理店もあり、中国から日本初進出の店を誘致するなど、特徴を持たせている。1階はみやげ物売り場になっており、肉まんなどの実演販売も行っている。「これまで、横浜中華街には中国の文化を見せるようなテーマパークがなかったので、中の人たちにも受け入れてもらえましたね。京劇はちゃんと見ると、日本の歌舞伎のように1時間以上かかるのですが、見せ場だけを10分くらいに短縮して演じてもらっています。こういったところから、中国の伝統文化に興味を持つ人が増えてくれればうれしいです」と、横浜大世界・販促広報部の青木裕介氏は語る。集客は1年目で120万人と、好調のようだ。

「横浜大世界」に出店したのをキッカケに、横浜中華街に独自に店舗を構える店も出てきた。無錫という都市で創業90年の点心専門店「王興記」は「横浜大世界」が日本初出店であったが、昨年6月に南門シルクロードに単独で上海料理と点心の路面店を開いた。このように、新しい店を育てる揺籃の場となってきていることも、注目される。春節期間中は2月1日に、みなとみらい線2周年を記念して、みなとみらい駅で琵琶、二胡の演奏などを行う。

王興記
横浜大世界 3層吹き抜けの中華料理店街 中国の伝統工芸、龍鳳文字(花文字=象形書道) 点心専門店「王興記」

■中国人かつ“浜っ子”である華人・華僑のユニークな性格

みなとみらい線開通を機に「横浜大世界」が出店するなど、賑やかさを増す横浜中華街は昨年も「王興記」のほか、麻婆豆腐専門店「辣」、ワンタン専門店「瑞雲」、食べ放題専門店「皇朝」が新規出店した。新店は特徴をアピールしようと専門化が進んでいる。しかし、店独自の色を出そうと切磋琢磨しているのは老舗も同じで、「萬珍楼」が高級点心を発信して香港でのブームの先駆けになったり、「聘珍楼」などが文献をもとに明治の頃の中国料理再現に挑んだりしているのは、顕著な例だ。

発展会で共同事業としてさまざまなイベントの実施や街並みの整備、情報発信を行う一方、店同士は激しく競争して顧客を呼び込もうとする。このダイナミズムが横浜中華街の活気の源泉となっている。今年の春節は1月29日、前日には恒例のカウントダウンが行われ、当日は獅子や龍が舞う。各店は特別料理、セールを企画して観光客を待っている。また、期間中の28日から2月5日までの土日には「チャイナタウン80」で中国音楽と京劇のサロンコンサートが行われる。

伝統を守る排他性と世界に開かれた開放性は二律背反するようだが、たとえば京都も同様な性格で観光客を伸ばしている。人工的なディズニーランドなどとはまた違う、生きた街のアイデンティティの魅力で集客する、日中融合のインターナショナルな商店街が横浜中華街であり、その住人たちは中国人でありつつ“浜っ子”そのものでもあるのだ。

長浜淳之介 + ヨコハマ経済新聞編集部

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