2008年6月にオープンし、今年6月で7年目を迎えた「思いつきスープカフェ アナーキーママ」は子どもを連れた母親などでにぎわっていた。
この日のメニューは、瀬戸内の無農薬の国産レモンを使った「レモンと鶏肉のさわやかなスープ」と、「豚肉の夏野菜のスープ」の2種類。これに、ごはんかパン、サラダ、飲み物がつく(スープ1種類500円2種類700円)。
店内を見てみると、赤ちゃんを背負った女性の姿が多いのに気づかされる。客だけではない。手伝っているスタッフも赤ちゃん連れだ。中ムラさんとこのカフェのスタイルに引かれた常連客たちがいつしか手伝うようになり、スタッフとなり、この7年でそのうち2人が妊娠し母親となった。
中ムラさん自身も2011年に4人目を妊娠し出産。中ムラさんの愛媛県松山市への転居などを経て、隔月1回のオープンと頻度は減ったが、「アナーキーママ」という場は継続している。
スタート当初は親子連れの客はほとんどいなかったが、スタッフのほとんどがおんぶやだっこなどの子連れで参加していることもあり、いつしか「ママ」のお客さんも増えた。
いまや乳幼児連れの親子ばかりになることもあるほどの子連れ率の高さ。従来からの客である寿の「おじさん」たちは、子どもたちの成長をほほえましく見守っている。
ー子連れで来る客が多いことはどう思っていますか?
中ムラ この「親子で来るのが特別なことじゃない感じ」が大事だと感じています。私はいろんな人が交じっている状況というのが一番いいと思っています。分けちゃうと理解でき合えないままになってしまいます。自分が子育てを終ってしまって忘れてしまうことでも、本当はどこかでまた繰り返されているはずです。常にまざっていたら「ああ、ああいう時もあったな」と思えてもっとわかり合えます。今は、お年寄りの話を面白がることも少なくなりましたが、多世代交流が自然と起こるカフェになったと思います。
鎌倉で2人の子育てをしながら音楽活動をしていた中ムラさんは、7年前、離婚をきっかけに横浜に引っ越すことになった。鎌倉では、同居していた夫の親に子どもを預けて仕事ができたが、離婚後はそうはいかない。
子育てをしながら音楽活動を続け、生計を立て暮らしていくにはどうしたらいいのか。悩んだ末にたどり着いたのが、意外や意外、子育てに適しているイメージとはほど遠い「寿地区」だった。
友人に「面白いところがある」と聞いて、寿地区にある「ヨコハマホステルヴィレッジ」(横浜市中区松影町3)を訪ねたところ、その屋上に庭園があることに驚いた。
草花が生い茂り、寿に暮らす「おじさん」たちが庭いじりを楽しんでいた。畑の収穫物には「自由にお持ちください」と札が下がっている。「寿地区はこわそう」というイメージを持っていた中ムラさんは、想像もしていなかった優しく温かな空間に衝撃を受けた。
「もう少しこの地域のことを知りたい」と思った中ムラさんは町を歩き回り「寿福祉センター保育所」の存在を知る。労働者たちが集う職安広場の前にあって、一日中門を開けっ放しにしている開かれた保育園。1968年に開園し、のびのび子育てをしながら町に住む子どもたちをたくさん育ててきていた。
門の鍵を完全に閉める保育園・学校が多い今、あえて門を開き、「町のおじさんたち」が自然に子どもたちの「見守り隊」のようなことをやっている様子に、中ムラさんは感動した。「ここなら楽しく子育てできる」と思ったという。
ー寿で子育てをしようと思った決め手は?
中ムラ 最初の空中庭園(ホステルビレッジ屋上の庭園)と開かれた保育園の印象が一番の衝撃でした。「あっ自分は何か思い違いしていたかも」と思ったのです。「寿はこわい街」だという自分の中の固定概念・差別的な意識が崩されました。「あれっこんな優しい空間があって、それはあの街のおじさんが作っている」という事実にびっくりしたのです。
それからその寿の町なかにある保育所が、門を開けっ放しにして「だれでもいつでも大歓迎」となっていて、おじさんが自然に子ども見守り隊をしていました。小さな子どもたちは、その人がアルコール中毒であったとかどういう素性とか、関係なく遊んでいます。
大人だけですよね、過去にこだわったり、「きたない」などと言って差別するのは。そういう垣根が子どものころから全くない環境って「すごいな」と思いました。そして「ああ自分は意外と開いているようで閉じてたな」って気づくことができました。「このまちだったら私は、色々な人と関わりながら子育てさせてもらえるかも」と思いました。
ー7年前、横浜に拠点を移したころ、中ムラさん自身の状況はどうだったんですか?
中ムラ 歌いながら子どもたちと生きていくのはとても大変です。決まった時間の仕事ではないし、夜も子どもたちを連れて回らなければならなかったり…。外から見ると「ああ、こんな時間に子どもたちを連れ回して」って思われるような肩身の狭い思いをすることが結構多かったです。
私は、一見自由に生きているように見えると思いますが「きちんとしなければ」という気持ちはありました。離婚もしたし「歌だけ歌って、子どもをどうやって育てていくんだ」という視線があるのも感じていました。
そういう中で、「私は1人で頑張ってやっていけます」と強がっていました。「自分だけでなんとかしたい」という気持ちでした。
「頑張って、なんでもいいからお金のある仕事を取らなければ…」「有名になって歌が売れればお金も入ってくる。そうすれば子どもがちゃんと育てられる」などと、不安と夢、色々な感情が交錯していました。
ー寿という町に関わったから「自分が変われた」部分があったんですね。
中ムラ 「子育てしなきゃ」とか「生計たてなきゃ」とか、自分の中だけで頑張らなきゃならないと思っていたのですが、寿という町にきてから「それは違う」ということに気づきました。この町でいろんな人と関わって、助けてもらいながら生きる方が、大事なことがいっぱいあると気づきました。逆にむしろお金なんかなくてもよい。時間やかかわりを大事にする方が、ものすごく子どもも育てやすい。真逆だったんです、私が思っていたことと。
「私はそんなに無理して自立して、頑張らなくたっていい。子どもは自分一人で育てるんじゃない、みんなで育てていけるんだ」と気づきました。ある意味その環境に身をゆだねる。自分の心を開いて「ありがとう」って受け取ることが大切だと思いました。
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「寿で子育てをしてみたい。町の人と仲良くなりたい。しかしいきなりは仲良くなれない」。そこで中ムラさんがとった手段が「食でつながる」ということだった。おいしいものを持ち寄りスープにする。ホステルヴィレッジに相談すると趣旨に賛同し、毎週金曜日、1階ロビーを貸してくれることになった。
友人の焼いてくれたパンとセットにし、500円で提供することにした。やりつづけると、毎週楽しみに訪れてくれるファンも増えた。ファンが高じてスタッフになってくれる人もあらわれた。「思いつきスープカフェ アナーキーママ」の始まりだ。
ーアナーキーママの名前の由来は?
友人が名付けてくれました。「アナーキー」って「無政府主義」とか「社会の秩序や権威から自由なさま」をあらわす言葉なので、「これからの人生、自分の意志や考えを貫いて自由に生きていきたい」と思っていた私は、ぴったりな名前だなと思ったことを覚えています。
ですが、私自身は社会のルールに翻弄される生き方をしています。子育てしていく中で、世の中のルールや常識とぶつかり、たくさんの人に世話になり、迷惑をかけてきました。
ー7年を振り返ってどう感じていますか。
世知辛いことやストレスもありましたが「みんなで食べるスープ」の存在に助けられました。いろんな苦しみを笑い飛ばすことの出来る仲間たちとの集いがあり、様々な考え方・生き方の人々が集う寿町で、最低限必要な「食」を共有し、会話をする中で得ることがあります。
私は、人の気持ちの流れが見えるような環境の中で生きていくということがとても大切だと思っています。関係が見える環境とは、一緒にご飯を食べたり話したりしながら、楽しみも一緒に作り出していけるような距離ではないかと思います。家族以外の人たちと家族のような繋がりを持って生活する、というのがアナーキーママだと思います。
この7年過ごしてみて、「アナーキーママ」の「アナーキー」は「単なる自由」ではなくて、「みんなで楽しく毎日を過ごす自由」「多様性を認め合いいろんな人と関わる自由」という意味がこもっていると感じています。
寿町の週1スープカフェ「アナーキーママ」が1周年記念ライブ(ヨコハマ経済新聞)
中区・寿地区で生まれたスープカフェ 「アナーキーママ」が7周年-中ムラサトコさんコンサートも(ヨコハマ経済新聞)
中ムラさんは定期的に岩崎ミュージアム1階の「山手ゲーテ座」(中区山手町254)で子育てワークショップ「子そだては爆発だぁ」を行っている。中ムラさんと石川町で造形教室を運営するアートユニット「ドゥイ」が交代でナビゲート役を務める。
さまざまなジャンルのゲストを交えながら、「子育てはアートである」をテーマに、新しい視点で子どもたちを見つめ、観察し、子どもの中にある表現、生きているエネルギーのすばらしさを、音楽やパフォーマンスや遊びを通じて発見していくという内容だ。
乳幼児とその保護者が対象で各回定員25組~30組。口コミでリピーターが増え、いまや定員オーバーの回もあるほど大勢の親子連れが参加する人気イベントになっている。
この子育てワークショップも、中ムラさん自身が「子育てに悩んだ」ことから開催に踏み切ったという。
ー子育てワークショップをやるきっかけは?
中ムラ 3番目の男の子が発達が遅くて、育てるのがとても大変だったから、その子となんとか一緒におもしろいことをやる苦肉の策というのがありました。どこかに預けるのも難しいし。自分自身が楽しく、子どももいながら音楽とかかわっていけるための工夫です。みんないっぺんにやっちゃえば子どももまぎれちゃうって。
ー子育て中のお母さんのためというのもありますか?
中ムラ 子育ては家にこもりがちだし、子を傍らに置いて親だってみんなで楽しいことがやったらどうかなと思いました。今は情報が多いけれど、だいたい「おかあさんってこうでなければならない」という価値観で子どもと関わらないといけない物事が多いと思います。だから、そうした固定概念に縛られず、みんなそれぞれが「自分が楽しいな」と思うような関わり方で、子どもと一緒に本気で楽しめる場所があるよって伝えたいと思いました。
ー子ども向けに表現するときはどんなことを感じながらやっていますか?
中ムラ 子どもにこびるのではなくて、自分自身がいつも新鮮で感覚的にいることが、子ども向けの作品づくりには不可欠です。そうした仕事は、とても私自身に刺激を与えてくれます。
子どものワークショップは自分の中の「物を生み出していく感性」を維持していくため、私には欠かせません。私は自分の生き方や生活が音楽を作ることに直結しているので、ただ自分の世界だけで作っていたら、こんな広がりはなかったと思います。
ー中ムラさんは18歳・12歳・7歳・3歳の4人の母親ですが、子育てしたからこそ、学んだことは?
中ムラ 子どもを通じていろんな人の気持ちがわかるようになりました。もともと「こうでなきゃいけない」というこだわりの強いタイプの人間だったのですが、「こうでなくっちゃいけないということはない」と、子どもから教わりました。
それに、自分だけで自分の好きなことをやっていたら、こんな風に続いてこれなかったかもしれません。続けてこられたのは、子どもがいると世の中や社会というのに関わっていかざるを得ないという点が大きいです。
実際子どもがいて社会と接点を持てたおかげでいっぱい気づくことがあって、気づいたことをきっかけに創作意欲が湧くことがあります。
例えば、寿みたいに差別的な空気があるところでは意外と自由にやらせてもらっていたのに、自由できれいといわれている地域の小学校に行ったとたん、ルールも多く、ものすごく不自由を感じました。
「なんだろなそれは」って思うことが私の中の人生のテーマになります。その「ずれ」こそが歌う価値があると思っています。
ー子育てのコツはありますか?
中ムラ よく「ベテランでしょ」って言われるのですが、子どもは生めば生むほど謎が深まるというか(笑)一人一人毎回違って、気づかされることが毎回全然違います。年を取ればとるほど体力的にはしんどいけれど、心は楽になってきました。なんでも受け身の状態で素直になれます。子育てって理屈じゃない(笑)。もっと感覚的に感じていかなければ、すごくしんどくなるんだなって、子どもを育てるたびにわかってきました。
だから今では、子どものことも素直に、「ちょっと見とってください、すみません」っていえるようになりました。それってたぶん、自分も、誰かにお願いされたときに「いいよ」って、言える状態なんですよ。
自立とは、「1人で立つ」のではなくて、みんなが支え合ってタワーのように立っているイメージです。都会では「1人で自立しなきゃ」と思ってしまうけれど、子育てしてて自立なんて、到底無理です。
アナーキーママのスタートから7年。今年10月、中ムラさんはアナーキーママ寿町店の来年2015年一年間の休止を決めた。今回の休止は、故郷の岐阜県に住む中ムラさんの父親の看病のためだ。
ーアナーキーママを続けてよかったことは?
中ムラ スープは、関わった人たちもみんな作れるし、食べることも出来るし、つながりやすいし広がりやすい点ですね。ライブ会場に来てもらってただ毎回見るだけの関係ではなくて、もうちょっと深いところで関わる、そういう場所が私には必要だと気づきました。
ー今後の展望は?
中ムラ 歌も場作りも、細く長く息絶えるまで続けていきたい。続けることが、続けられるという環境にあるということがいいなと思います。
関わっているひとが、そこにいるだけでいいような居場所を続けていくこと。
病気なら病気で、「病気なんだ」って来てくれればそれでいいんです。私もしんどいときがあったけれど、他の人が元気だと救われました。みんなが元気じゃなくても、とりあえず誰かが1人でも元気で、つないでくれれば続きますよね。たった1人では、無理だったと思います。
寿店は休止するが、岩崎ミュージアム内の2号店「思いつきスープ&おてがみカフェ アナーキーママ」(横浜市中区山手町254)は継続。山手ゲーテ座(岩崎ミュージアム地階)での子育てワークショップも中ムラさん担当回は減らすものの続けていくことが決まっている。
中ムラさんは、現在、松山市で古民家を借り、家族で暮らしている。そんな自宅でのんびりと古本と貸本の店をはじめた。子どもがいてもゆっくり本を楽しめる。一冊100円で貸し出しもする。生計をたてられるような店ではないが、横浜で「カフェという場所」をつくったように「交流の場をつくってみたい」というのがきっかけだ。人が集まるとつながりが生まれ、出来事がうまれる。それが自分の歌う場所へとつながっていく。
場があって、交流が生まれること。子どもとの生活に悩みながらも、気づかされること。その毎日の生活が、中ムラさんの表現の原動力になっている。
船本由佳+ヨコハマ経済新聞編集部