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野毛にジャズ喫茶「ちぐさ」があった!
ちぐさアーカイブプロジェクトの軌跡

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■ちぐさの開店-日本ジャズ黎明期 

 「ちぐさ」が横浜市中区野毛町1丁目に開店したのは1933年。いわゆる「昭和一桁」のこの時代、おそらく日本独特の文化と思われる「ジャズ喫茶」が、東京、横浜界隈に出来始めていた。1923年に起きた「関東大震災」により甚大な被害を受けてから10年。街は復興を遂げ、新しい文化に市民は心を躍らせていた。

 常連客から親しみを込めて「オヤジ」と呼ばれていた名物店長の吉田衛さんが、元々この地にあった「純喫茶」を居抜き物件(以前の使用者からそのままの状態で受け取ること)として買い取り、名前もそのまま引き継いで営業を開始。この時吉田さんは20歳。10代の頃に出会ったジャズという音楽を愛して止まない青年だった。

 「ジャズ」の語源や発祥については諸説あるが、1914年の第一次世界大戦から1929年の世界大恐慌までのアメリカは一般的に「ジャズ・エイジ」と呼ばれ、ジャンル確立から隆盛の時期とされる。これと前後して日本にも上陸したらしく、大正時代の横浜、神戸といった貿易港などでは既に聴かれていたという。

 ただしこの頃は「聴く」ことが主ではなく「踊る」ための音楽であり、その普及に大きな役割を果たしたのは「ダンスホール」だったという。その草分け的存在として、当時は東洋一とうたわれた横浜・鶴見の巨大遊園地「花月園」の舞踏場などが挙げられるが、関東大震災によって倒壊しわずか3年で閉鎖した。しかし横浜にはもう1つの「踊り場」があった。レコード音楽に合わせて男女が踊る「チャブ屋」、今風に言ってしまえば風俗店である。

 チャブ屋の語源はよくわからない。昔の横浜言葉で食べることを「チャブる」と言ったからとする説もあるが、チャブるという言葉自体が英語の「chop house(安料理屋、肉を出す店)」から転訛したのではとされ、現在ではその説が一般的となっている。料理が出て音楽に合わせて踊れるというのは表向きの話で、実際は外国人船乗りを相手とした「私娼館」であり、特に風光明媚な本牧地区には20以上もの店舗が軒を並べていた。そんな土壌もあったせいか、ハマの街角にはどこよりも早くジャズという音楽が広まった。

 自然と聴こえてきた音楽に魅せられ、ひたすらにレコードを集めていた青年が野毛に開いた小さな店。ここが後に日本のジャズ界を牽引する存在になるとは、当時本人でさえ思ってはいなかったことだろう。

「音にハマる、人にハマる、街にハマる」同時多発形ジャズ演奏に街が染まる日(ヨコハマ経済新聞)

■戦争とジャズ

 ちぐさの営業開始から6年目の1939年、事態は急変する。ドイツがポーランドに侵攻し「第二次世界大戦」が勃発。翌々年には日本軍がアメリカの真珠湾を攻撃し、太平洋戦争に突入した。ジャズの発祥地であるアメリカが完全なる「敵国」となってしまったのだ。吉田さんの著書「横浜ジャズ物語」によれば、1937年の日中戦争ごろから軍国主義の影響を受け、徐々にアメリカ文化に対する圧迫はあったものの、国際都市横浜はまだ華やかであったという。ところが1940年に「ダンスホール閉鎖命令」が出され、翌年の戦争突入により街の灯も消え、ついにはジャズレコードの「強制供出」にまで至る。吉田さんは実質的に喫茶店組合の代表的立場だったため、皮肉にも自身がその「レコード回収役」をせざるをえなくなった。

 とはいえ、ただ命令に従うだけではないのが吉田さんならではといったところ。敵国の曲はかけられないならば、と日本の歌や民謡をジャズ風にアレンジしたレコードを密かに店で流した。また、6,500枚ほど所有していた自身のレコードコレクションのうち、500枚は店の天井裏にこっそりと隠しておいた。

 しかし、このささやかな抵抗も吉田さん自身が「召集令状」を受け取ることで終わりを告げる。出征中の1945年5月、飛来した米軍の戦闘機により横浜は焦土と化した。いわゆる「横浜大空襲」である。ちぐさもこの爆撃により焼失してしまう。同年8月に日本は降伏。終戦を迎えると中区の大半が米軍に接収された。ところが、これが横浜から日本全国にアメリカ文化とジャズが波及するきっかけとなるのである。

横浜市中区役所 歴史年表

■戦後の復興と発展

 終戦の翌年、変わり果てた故郷に戻った吉田さんは米軍の施設で働いた。野毛地区には軍関連の仕事を求めて全国から労働者が集まり、「闇市」も立って人があふれた。FEN(Far East Network)放送からはビ・バップ、R&Bが流れ、米兵とジャズで街はごった返していた。横浜は日本全国に向けた流行の発信基地となっていたのだった。

 しばらくすると、吉田さんは元の場所に家を建て直し、どこからか電気蓄音機(レコードプレーヤー)を手に入れ、戦前からのなじみの客が持ってきたレコードや、Vディスク(第二次大戦中アメリカ政府が兵士の慰問用に作成した12インチのSP盤)でジャズ喫茶を再開させた。「ちぐさ」の復活である。現在のように誰でも自由に、そして気軽に音楽を聞く事が叶わなかった時代、この存在は口コミで広まり、以前からの常連客のみならず、新しいものを求めていた若者達などが集い、店は繁盛していった。

 また、進駐軍の施設の多かった横浜には沢山の「クラブ」ができ、そこで演奏するミュージシャン達が勉強のために訪れるようにもなった。レコードが「超」のつくほど貴重品だった時代、若きバンドマンはちぐさへやってきて、耳で必死に曲を覚えた。やがてちぐさはプロのミュージシャン達の溜まり場になり、そこから日本を代表する数多くのジャズプレーヤーが育っていった。渡辺貞夫氏、秋吉敏子氏、日野皓正氏、前出の吉田さんの著書にちぐさについてコメントを寄せているミュージシャン達の名前が全てを物語っている。(参考文献:横浜ジャズ物語「ちぐさ」の50年 吉田衛・著)

■愛すべきちぐさの「オヤジ」

 吉田さんを知る人は口をそろえて言う。「頑固で偏屈。だけど、人一倍面倒見が良くて、誰よりもジャズを愛した人」。そんな人柄に惹かれ、プロ、アマ問わず多くのジャズ愛好家がちぐさに通った。その性格から反感を買うことも時にはあったが、不満を漏らしていた人でさえ最終的には「言ってる事の筋は通っているから」と納得して帰るしかなかった。それどころか「ジャズは神聖な音楽。酔っ払って聞くもんじゃない」と、喫茶店にも関わらず飲酒して来た客は追い返し、「ここは音楽鑑賞店」という理由で私語すら注意した。今となっては絶滅してしまった感のある、古き良き時代の頑固オヤジ。例え相手が客であっても、筋の通らない事をする人間にはきっちり「けじめ」をつけた。

 そんな「オヤジ」を慕う仲間同士で、正月には新年会を開いたり、暑気払いに箱根へ温泉旅行に出かけたりする「会」が出来た。粋な遊び人という側面もあったという吉田さんの周囲にジャズを愛する粋なオトナ達が自然に集い、いつしかそれは「ちぐさ会」と呼ばれるようになっていた。

 「あの頃僕は学生だったからお呼びがかからなかったんだけど」と前置きをしながら、現在のちぐさ会会長の遊佐正孝さんは語る。「明確にいつ発足したかは分からない。でも、あっち(温泉宿)にオヤジのなじみの『芸者さん』もいて、オトナ連中は定期的に『粋な遊び』をしてたと思う」。1960年代頃のちぐさ会は、カッコイイオトナ達の社交場だったようだ。

■吉田さんの死、そしてちぐさ閉店

 1982年から神奈川新聞に連載された「吉田衛の横浜ジャズ物語」が、ちぐさの開店から50年余を経た1985年の9月に1冊の本として出版され、その記念パーティーが開催された。翌年には「第35回横浜文化賞」を受賞するなど、吉田さんの長年にわたるジャズ界への貢献に対する評価も高まっていた。しかし、この時既に70代半ばに差し掛かり、流石の「頑固オヤジ」もその勢いに陰りが見え、またこの頃になるとちぐさ会の存在もやや違う形になってきていた。

 「オヤジさんが好きで、励ましたくて、それでいつも店にいました」と話すのは気賀沢芙美子さん。ご主人の忠文さんと共にちぐさ会のメンバーである。吉田さんは信頼のおける常連客に仕事を任せることがあり、それは愛好家の間で一種のステータスとなっていた。閉店後の掃除をさせてもらうのに3年、カウンターに入るのに5年かかるともいわれ、当然無償でありながら周囲からは憧憬の眼差しを浴びたという。

 実はこの気賀沢さん夫妻の「出会いの場」がちぐさ会だったのだ。粋なオトナの遊び場としてよりは、吉田さんを囲む温かな集いとしての要素が強くなっていた。「晩年はあれでもだいぶ丸くなった」という人もいたらしいが、それはある面で頑固オヤジの「衰え」を暗示していたのかもしれない。

 1991年に「横浜ジャズ協会」が設立され、その名誉顧問としてパーティーに出席。2年後の1993年には第1回目の「横濱ジャズプロムナード」が開催されるなど、更なる飛躍も見えていた1994年10月、吉田さんは静かに息を引き取った。享年81歳。

 「気付いた時からあんな見た目で、年齢不詳だったから。死んだ時はショックだったよ」と語るのは、横濱ジャズプロムナードディレクターの柴田浩一さん。大学時代からちぐさに通いつめ、「オヤジ」の信頼を得てカウンターに入る事を許された人物の一人だ。「客がいなくなると、こっそり自分の好きな曲をかけたりしてね」と当時を振り返る。

 吉田さんの没後も、ちぐさを愛する多くの有志と、「ねえさん」と常連客からは呼ばれる吉田さんの妹・孝子さんにより店は存続した。しかし、2007年1月、付近一帯の開発計画に伴い閉店となり、ついに74年という長きにわたる歴史に幕を閉じた。その時点で現存していたジャズ喫茶としては「日本最古」だったこともあり、ちぐさ閉店の報は数多くのマスメディアでも取り上げられた。

■ちぐさの「遺産」とその再生

 普通、店が無くなってしまえば、そこに置かれていた物などはバラバラになって人手に渡るか、或いはゴミとして処分されてしまう事が大半だろう。ところが、このちぐさには日本のジャズの歴史そのものが詰まっていて、誰がどう見ても捨ててしまうには忍びない「お宝」が山のようにあった。そこでちぐさ会のメンバーがさまざまな所へかけあい、最終的に横浜市の中央図書館(西区老松町1)に3年間という期限付きで保管されることになった。この時点での物の散逸は防ぐことができたのである。

 あっという間に月日は流れ、図書館での保管期限も終わろうとしていた今年2010年3月。野毛地区の地域振興策として街の人々と横浜市が協同で完成させた映像アートの拠点「野毛Hana*Hana」(横浜市中区花咲町1)の会議で、ある話題が出た。「野毛地区街づくり会」事務局長の藤澤智晴さんが切り出す。「ちぐさに置いてあったレコードや調度品などが、野毛(街づくり会)に寄贈されるかもしれない」

 まだ不確定な情報だったが、この時点であるひらめきを得た人物がいた。サウンドディレクターで東京藝術大学などでも講師を務める「S.D.L. NADI」代表の川崎義博さんだ。Hana*Hanaはこの前年に出来た「メディアギルド」と呼ばれる映像アート関連の協同オフィスで、NADIもその一角に居を構える。

 川崎さんは「せっかくそんなに貴重なものが残っているんだったら、有効活用しない手はない」と思ったという。正式な話ではないにせよ、善は急げとばかりに企画書を作成した。内容は、ちぐさのレコードをデジタルアーカイブ化し、そしてこの秋に、野毛の街で「ちぐさを店ごと復活」させる。

 途方も無いことのように思えた。第一、本当にその品物の数々が野毛の街に帰ってくるかどうかも分からない。しかし可能性を信じて、仲間達に声をかけた。野毛地区街づくり会地域資源活用委員会委員長の小林直樹さん、前述のちぐさ会の遊佐さんや、ジャズプロの柴田さんらと密かに話し合いを進め、まずは発起人会を作ろうということになった。メンバーは、川崎さん、小林さん、柴田さんと「野毛飲食協同組合」の田井昌伸さん、Hana*Hanaに隣接する老舗ジャズ喫茶「Down Beat」の田中公平さん、ジャズスポット「ドルフィー」の小室恒夫さん、ジャズと演歌の店「papa john」の島村研一さん、そして事務局担当をすることになるHana*Hanaのディレクターの嘉藤笑子さんの8人。その発起人会により「ちぐさアーカイブプロジェクト実行委員会」の始まりが決定され、実行委員長は「言い出しっぺだから」というわけで川崎さんが、副委員長には街づくり会の小林さんが就き、監修として柴田さんの名前が挙げられた。

 横浜市の管理期限が終了するにあたり、街づくり会サイドから申し出て、一旦桜木町駅前にある「野毛ちか道地下倉庫」に保管することになり、野毛の人々の手により中央図書館から慌ただしく運び込まれたのが今年4月のこと。わずかな期間とはいえ、まさかあんな所にかの「ちぐさ」の遺品の数々が置かれていたとは、日々目の前を通り過ぎる大勢の通勤客らは知る由もなかっただろう。

野毛Hana*Hana

横浜の新たな映像文化拠点「野毛Hana*Hana」 映像メディアを通じて地域文化との融合を目指す(ヨコハマ経済新聞)

■プロジェクトの本格始動からイベント開催に向けて

 ちぐさの財産が本当に野毛の街に「帰ってくる」ことが決まった。そんな中、第1回目の会議が開かれたのが6月の初めのこと。この時点でもまだ「内々に」という話で進められていた。それでもその月下旬には第2回目の会議と、地下倉庫での「蔵開け」作業を行うなど、水面下で着々と事が運ばれていた。

 この6月下旬の蔵開け作業ではさまざまなものが確認された。店で実際に使用されていたテーブル、イスなどの家具類や、表にあった数種類の看板に、音楽を流すための機材類。地下という環境下での保存が心配されていたが、一部破損しているものを除いて大半が使用可能であるということが奇跡に思えた。数多くの有名ジャズミュージシャン達と吉田さんが写った写真パネル、そして貴重なレコードがつまった大量の箱。

 山積みになった箱を外から眺めていた時は、「(1箱に)大体30枚くらいだろうか」と作業にあたった川崎さんや、噂を聞きつけ手伝いにやってきた野毛の人々は口にしていた。実際に開けてみると、その倍ほどの数がびっしりと詰まっていた。この写真パネルもレコードも、通常よりかなり高温多湿な場所にあったにも関わらず、状態は思いのほか良かった。今にして思えば、ギリギリのタイミングだった。もしも梅雨から夏に突入してしまっていたら、どうなっていたか分からない。

 この日の作業ではレコードには手を付けず、調度品や機材のチェックのみで終えた。大半の人々が帰った後、「換え用レコード針」などが収められたケースを調べていた川崎さんと、今回「店舗の実寸大再現」計画に関し実際に組み立ての工程までその全てを担ってきた藤田龍平さんらが、何かを発見して盛り上がっていた。そこにあったのは、「オヤジ」こと吉田さんが使っていたと思われる名刺だった。愛好家とおぼしき人々がしばしばネット上等に公開している晩年のタイプとは違ったかなり古い時代のもののようで、片隅には「音樂鑑賞店」という肩書きがあった。「貴重だね」と笑顔を見せる川崎さん。こんなことを言ってはおこがましいが、吉田さんが後押ししてくれているように感じられた。

 レコード類の確認作業の後、街づくり会などがかけあい、隣接する「ぴおシティ」(桜木町ゴールデンセンター、中区桜木町1)に品物全てを一時的に置かせてもらえることになった。動きが加速し出すのは7月に入ってからだ。実行委員会結成と並行して模索していた「助成金申請」の1つ「APEC創造都市事業本部」が募集していた「横浜市マザーポートエリア活性化推進事業」に認定されたのだ。一番の課題とも考えられていた「予算」のおおよその目途がついたことで、店舗を実寸大で再現するという目玉企画が一気に現実味を帯び、イベント名も「野毛にちぐさがあった!」と決まった。8月に入って正式にプレスリリースを行い、これによって協力者も更に増えていった。横濱ジャズプロムナードと完全連動することや、店舗営業当時実際にコーヒーを提供していたキーコーヒーが協賛につくことなどが、あれよあれよという間に決まっていった。

 「動き出してからは、あっという間で」と語るのは嘉藤さん。アーカイブ展開催が目前に迫り、川崎さんとともに筆者にこれまでの経緯を説明しようとして「いろいろあって忘れちゃったみたい」と、事務局担当として慌しい日々を送ってきた様子をうかがわせた。「でもなんだかんだ言って楽しい。学生時代の『文化祭の直前』ってこんな感じだった気がする」。オトナ達が目を輝かせている姿があった。

野毛にあった老舗ジャズ喫茶「ちぐさ」のアーカイヴプロジェクトが始動(ヨコハマ経済新聞)

■野毛にちぐさがよみがえった!

 ついにこの日がきた。店舗再現の実質的な作業を担当していた美術制作集団「カシオペア」の中心的存在の藤田さんや、「広報担当です」という山本亮介さんも連日のハードワークに疲れきっていたが、プロジェクトに参加できていること自体が嬉しいという。カシオペアは昨年のフランス大使館の展示の際結成されたユニット名で、元々それぞれに舞台美術に携わっていた若者たち。実際のちぐさを知らない世代だ。田中らんさん、音響の西原尚さん、特殊技術の髄さん、彼らの目には古く懐かしいものの再現というより、新たなものの「創造」として映っているように見える。「途中はしんどかったけど、出来上がったのを見たら、もう『良かった』って。それしかないです」と、仕事をやり終えた彼らは語った。

 ところで、ここまでの文章の中に吉田さん本人をのぞいて、18人の方の名前が登場している。意図的に表記したのだが、これでもほんの一部の関係者だけであって、本当に大勢の人々がこのプロジェクトに携わっている。それもボランタリーに関わっている人が大半だということを付け加えておきたい。

 ジャズを愛した吉田衛さんの想いの詰まったちぐさが閉店してから3年8カ月。その吉田さんを、そしてジャズを愛する大勢の人々の想いが結集して、今、野毛の地に「伝説のジャズ喫茶 ちぐさ」が復活を遂げた。

 初日、訪れた人々の口からは「そのままだ」という言葉が思わず出た。店で実際に使用されていたレコードプレーヤーで音楽が流され、当時の味を再現した「美味しいとは言えない」と当のキーコーヒーの担当者がいうコーヒーが、訪れた客たちに振る舞われた。曲が終わると自然と拍手が起き、奥に飾られている笑顔の吉田さんの写真がよりいっそう笑っているように見えた。

 「おい、音楽という字を書いてみろ。分かるか?音を楽しむと書くんだぞ」

 オヤジの声が聞こえるようだった。

横濱ジャズプロムナード

秋の風物詩「横濱ジャズプロムナード」-313ステージ2,700人出演(ヨコハマ経済新聞)

■そしてこれから

 再現された店舗は、10月17日までの期間限定ということもあってか、連日人々で賑わっている。しかし、本当の課題はこれからのはずだ。いかにこの財産を保管し、次世代へと継承していくのか。街づくり会の人々、そしてちぐさ会の人々やプロジェクトの実行委員たちは夢を語る。「喫茶店としてではなくとも、常に『ちぐさ』がこの世界に存在している環境を創りたい」。プロジェクトは実は始まりを迎えたばかりだ。

野毛にちぐさがあった!~ちぐさアーカイブプロジェクト

宮野純子 + ヨコハマ経済新聞編集部

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