特集

映像文化産業で地域活性化を図る
横浜フィルムコミッションの動き

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■フィルムコミッションとは何か

「フィルムコミッション」という単語自体、耳慣れないと言う人も多いだろう。フィルムコミッションとはもともと1940年代後半にアメリカで始まったもので、映画、テレビ、CMなどのロケ撮影に際し、ロケ場所の紹介、許可・届出手続きの代行、撮影スタッフの宿泊施設やお弁当の手配などの関連業者紹介等による支援を行う組織で、その多くが自治体を主体とし、非営利である場合がほとんどである。撮影に必要なさまざまな手続きを、映像制作者と行政や企業など関連機関との間に立ってスムーズに進めること、また、撮影の誘致も役割のひとつだ。

1975年アメリカで設立された非営利教育団体、AFCI(国際フィルムコミッショナーズ協会)は、Cineposium「教育プログラム」、Locations Trade Show「映像制作者への展示会」を活動内容とし、世界31カ国・地域に310団体が加盟しており、各地域の経済・産業振興、観光振興、映像文化振興に大きな効果を上げている。日本国内では、2000年から各地で設立が始まり、横浜フィルムコミッションは、日本で4番目に誕生したフィルムコミッションである。

Association of Film Commissioners International (AFCI)

全国フィルム・コミッション連絡協議会
Association of Film Commissioners International 全国フィルム・コミッション連絡協議会

■「横浜フィルムコミッション」の設立の経緯と歴史

横浜フィルムコミッション設立の背景には、行政での動き、地元映画関係者の動き、フィルムコミッション設立研究会などの全国的な動き等、各方面の動きがあり、これらがタイミングよくひとつの流れとなり立ち上げに繋がっていった。

まずは、1997年に、篠田正浩監督と当時の横浜市長高秀氏の雑談に始まる。篠田監督は「氷川丸や山下公園でのロケにおいて市の関係だけでも数ヶ所で別々に許認可が必要だった。一括して手続きの取りまとめが出来ないか」と横浜市に投げかけた。当時の市長はこれを受け、映画振興・文化振興の視点から、許認可の一括化の検討が約束された。その後、市長から撮影の手続きの改善検討の指示があったが、当時はフィルムコミッションという概念も広まっていない段階で、少ない情報をもとに庁内でワーキングなどを重ねたという。同年9月には、故伊丹十三監督が新聞に「横浜の映像都市宣言を望む」というコラムを寄稿、1998年4月には、神奈川新聞の服部文化部長が「横浜にフィルムコミッションを!」という記事を寄稿した。また当時、横浜日劇やシネマ・ジャック&べティなどの映画館を運営していた旧中央興業の福寿祁久雄氏も、日ごろから、横浜におけるフィルムコミッションの必要性を訴えていた。2000年3月には横浜の映画関係者を中心に、フィルムコミッション設立を求めるシンポジウム横浜学特別セミナー(主催:横浜学連絡協議会、事務局:企画局調査課)「横浜と映画」第4回『映像都市を目指して―横浜フィルムコミッションヘの第1歩』が開催され、地元でのさらなる盛り上がりにつながっていった。そして2000年10月1日、財団法人横浜観光コンベンション・ビューローを所管に横浜フィルムコミッションが設立、映像制作者にとって待望の横浜における『フィルムコミッション事業』が開始された。

横浜フィルムコミッション (横浜FC) 映像文化都市としての国際的評価の確立に向けて -フィルムコミッションの活用について-(pdf)

2000年2月には、民間企業有志や映画関係者、映画監督などが集まり、国内にフィルムコミッションを設立しようとする「フィルムコミッション設立研究会」がスタート。横浜市も第3回目から参加。この設立研究会の活動が「フィルムコミッション」の認知度を全国的に高めることにも繋がった。また現在、神奈川には7つのフィルムコミッションがあり、現場担当者間でのネットワークが形成されている。県の施設等はこれまで規制が厳しい部分があったが、積極的に呼びかけを行い、勉強会等を重ねることで県の一部の施設が使用可能になった。また、国の施設を使用可能にすることなどに取り組む規制緩和委員会も、国内の全国組織である、全国フィルム・コミッション連絡協議会内に設置されており、各地のフィルムコミッション担当者や映像制作関係者により、活発な議論が行われている。

横浜FCを介してのロケ撮影の様子 横浜FCを介してのロケ撮影の様子 横浜FCを介してのロケ撮影の様子 横浜フィルムコミッション 産業貿易センタービル1階にある事務所

■横浜フィルムコミッション担当に聞く、事業の実態

フィルムコミッション事業を展開する自治体の多くが、この事業の目的を、映画やテレビなどがその地域で撮影され、映像作品に映ることによるシティセールス効果、製作者が撮影の際に宿泊・飲食することなどによる直接的経済効果、作品を見たファンが観光客としてロケ地を訪れることによる間接的経済効果などを創出することとしている。横浜は、制作会社が集中する東京に近いこともあり、1ヶ月あたりの問合せ対応件数が50件前後と、他都市に比べて非常に多い一方、日帰りの撮影が多く、直接的経済効果は薄いのが現状だ。

横浜フィルムコミッション(以下、横浜FC)では、映像制作者と撮影協力施設とのやりとりを通じて、撮影がスムーズに行われるよう、撮影許可手続きの取次ぎや申請代行などを行い、支援・協力している。制作者があらかじめロケーションハンティングをし、希望のロケ候補地を決めた上で、横浜FCに相談するケースもあれば、制作者が作品やロケ地のイメージを横浜FCに伝えて、ともに協力しながらロケ地に最適な場所を探していくケースもあるという。横浜FCにはすでにロケ候補地として登録済みの場所・施設が多数あり、写真や撮影条件などを記載した資料をストックし、情報提供を行っている。問合せ件数が多く、対応や調整もほとんど電話でのやり取りで行っているため、現場になかなか出られないのが悩みとなっており、実際にロケに立ち会うケースは2、3ヶ月に1回だという。

横浜FCの担当者は「現在では、フィルムコミッションの存在が映像制作者の間にも認知されてきたが、立ち上げ当初はまだ、日本に『フィルムコミッション』という概念が入ってきたばかりで、撮影協力を依頼する施設側にも、フィルムコミッションとは何かを説明する所から始めなければならないこともありました。制作者にかなり浸透してきたとはいえ、撮影現場には様々な立場の人が集まるので、フィルムコミッションを知らないスタッフもまだ存在します」と語る。フィルムコミッション事業を立ち上げてから、少しずつ撮影協力施設の登録も増えてきたが、その中には横浜FC担当者が実際に行ったことのない施設もあり、時間を見つけては現地に足を運ぶようにもしているとのことだ。

撮影が増加する一方で、撮影予定時間の変更や、突然のキャンセルなどトラブルも多くなっており、その防止にも力を入れたいという。横浜FCでは、毎年600~700作品のロケに関する相談があるが、そのうち実際に撮影に至るのは、その約半数となっている。最近では、FCを介さずに、制作側と撮影協力施設側が直接やりとりを行うケースも増えてきた。今後は、スムーズにロケを行うことができる体制づくりを目指す一方、より良い撮影環境作りには、一般市民にFCの活動を知ってもらうことも重要だ。理解促進の一環として、市民を対象としたロケ地ツアーの開催や、横浜商業高校の生徒らが考案した修学旅行生向けのロケ地マップ作成への協力なども行ってきた。また、フィルムコミッション活動への理解を深め、ロケ地としての横浜や映像文化への興味を持ってもらえるよう、ウェブサイトを2005年3月にリニューアル。横浜FCが協力した作品を特集し、ロケ地の紹介や撮影時のエピソードを伝える「トピックス」を新設、さまざまな切り口から映像文化振興につなげたいという「みんなの話題コーナー」も新設された。また、制作者向けのページも充実させ、より利便性の高いものとなった。今後は、エキストラの募集告知等も行う予定だ。

横浜FC担当者は「フィルムコミッションの所管が国土交通省から文化庁に移行され、文化振興という観点で地域の活性化を図ろうとしており、横浜も今後はそのような方向性になるのではないか」と語る。今春には東京藝術大学大学院映像研究科が横浜に新設、映像クリエイターを育成する機関が出来ることはその追い風となるだろう。「映画の都ハリウッドは、映画撮影することを前提としてつくられた街。それに対して横浜は、歴史のある街で制約も多いが、その中で街の魅力を生かしたロケを行う『横浜モデル』のようなものをつくり出し、映像文化都市・横浜を盛り上げていきたい」と語った。横浜FCは単なるロケ地紹介にとどまらず、制作者と施設との間での調整をきめ細かに行い、関係者より高い評価を受けている。(平成15年対応実績:765件)

第2回 映像文化都市懇話会議事録
登録されたロケ候補地の資料 写真や撮影条件などが記載されている 写真や撮影条件などが記載されている 資料はそれぞれの部門に分かれて管理されている 横浜フィルムコミッションHP 事務所には一部の作品のロケ場所がマップで展示されている 事務所には一部の作品のロケ場所がマップで展示されている

■映画産業の誘致で地域活性化に成功した海外の事例

一方、「フィルムコミッション事業」の先駆者と言える海外では、FCはどういった活動を行っているのだろうか。1978年にカナダのブリティッシュ・コロンビア州政府機関の1部門として設立されたBCFC(ブリティッシュコロンビアFC)は、ハリウッドに対抗し「Hollywood North (北のハリウッド)」を目指した地域活性化政策をとっている。米国を中心とした海外の映画作品やテレビ番組のロケの誘致を始め、プロダクション・スタジオ等を地域に集合させ、一つの州内で、撮影から編集、完成までを一括して行える地域戦略を展開。現地スタッフを雇用して映画を制作した場合、最高で製作費の約25%の補助金を受け取ることが可能になるなどの制度によりロケ誘致は促進し、北米のなかでも、ハリウッドやニューヨークと並ぶ映像産業都市となるまでに成長した。

ブリティッシュ・コロンビアFC(英文)

また、映画制作誘致に積極的な国として最近注目されているのがニュージーランドだ。地域特性である自然資源を背景に作った作品『ロード・オブ・ザ・リング』が大ヒットし、その後も『ラストサムライ』など大作映画の制作が行われている。『ロード・オブ・ザ・リング』の監督ピーター・ジャクソン氏はニュージーランド出身で、首都ウエリントンに美術・造形・ミニュチュア工房・編集・スペシャルエフェクト・CGの工房等を作成。3部作は製作期間15ヵ月間、総制作費340億円、制作スタッフ、キャストは合わせて2,000人以上、エキストラは2万人以上という壮大なプロジェクトとなった。これにより莫大な外貨と新しい技術、インフラと周辺産業を含めた雇用の機会がもたらされ、国のGDPを2%押し上げたと言われている。

ニュージーランド観光局 ロード・オブ・ザ・リング 特集ページ(英文) ニュージーランド フィルムコミッション(英文) 【参考】 デジタルキャンプ! コラム 映画が産業を振興する起爆剤に!

ブリティッシュ・コロンビア州やニュージーランドなどの成功事例を見ると、映画で地域活性化を図るには、映画制作の誘致によってその地域で優秀な人材が育っていき、スタッフを現地調達できるようになることが大切だとわかる。また自治体が様々な優遇措置をすることによって、映画制作者にとってその地域でつくることがメリットになる状況を作り出している。官・民が力を合わせて地域が一体となって誘致や制作を支援するための枠組みを作っていくことが成功への近道と言えるだろう。映画による地域活性化の取り組みにおいて、官・民の間を取り持つフィルムコミッションが果たしていく役割はますます大きくなっている。

ブリティッシュ・コロンビアFC ニュージーランド観光局 ロード・オブ・ザ・リング 特集ページ ニュージーランド フィルムコミッション

■「映像文化都市」として 横浜の施策と動向

文化芸術創造都市(クリエイティブシティ)」をめざす横浜市は、今後成長が期待される映像コンテンツ産業、エンターテイメント産業、人材育成機関などを市内に集積することにより、映像制作・発信・交流拠点の形成を図る「映像文化都市づくり」を進めている。市では「横浜フィルムコミッション」事業だけでなく、横浜情報文化センター(放送ライブラリー、日本新聞博物館など:平成12年)や横浜メディア・ビジネスセンター(tvk、神奈川新聞社など:平成16年)などの映像コンテンツやIT関連産業の中核的施設も整備してきた。また、映像文化関連企業の誘致制度も平成16年に開始。映像系企業をヨコハマに、とみなとみらい21地区等に立地するIT、映像、コンベンションなどの企業に対する国内最高レベルの支援措置 (市税の軽減と最高50億円の助成金)が条例化(企業立地促進条例)された。

文化芸術都市創造事業本部ニュース 映像系企業をヨコハマに!(pdf)

4月には、その第一号として旧富士銀行が東京藝術大学大学院映像研究課キャンパスとして開校される。市民に開かれた映像文化施設として1Fホールや視聴覚室を整備し、人材育成及び市民への文化芸術活動が行われる予定。平成17年度には、アニメーション専攻、メディア映像専攻のキャンパスとして、新港客船ターミナルでも映像文化施設の整備が開始される予定だ。横浜は、東京美術学校(藝大の前身)の創始者 岡倉天心の生誕の地(現在の開港記念会館)であり、旧富士銀行横浜支店の建つ馬車道は、文久2年(1862年)写真師・下岡蓮杖が、日本最初の写真館を開業した地でもある。また、製作の分野では、ビジュアルエフェクトの第一人者であるリチャード・エドランド氏がデジタル・ピラミッド社を開設(平成14年)し、製作活動を開始している。

文化芸術都市創造事業本部ニュース 東京藝術大学大学院映画専攻キャンパス(pdf)

映像関連イベントも多数開催され、国際映画祭である「フランス映画祭横浜」は今年で13回目を迎える(6月15日~19日に開催)。映画ファンによる自発的な映像イベントも継続されており、「ヨコハマ映画祭」は、今年で26回目となる。過去3回開催されている「横濱学生映画祭」や、平成15年に行われたデジスタ・アウォード(デジタルアート作品の展示・審査会)などデジタルコンテンツなど新たな映像に関するイベントも生まれつつある。

100人を越す映画人がヨコハマに上陸!カンヌの風薫る「フランス映画祭」事情 横浜の日本映画シーンを活性化する! ファン手づくりの「ヨコハマ映画祭」の全貌 日中映画産業の架け橋を目指す! 国際化する「横濱学生映画祭」の全貌

みなとみらい21地区では、すでにあるシネマコンプレックスに加え、デジタル上映システム等を備えた映画館などの建設も予定されており、横浜は今後映画観賞の場としてもますます盛り上がりをみせそうだ。

こうした活性化の影には、横浜市文化芸術都市創造事業本部の存在がある。文化芸術を横浜の新たな都市戦略として位置づけ、個性あふれるまちづくりや新しい産業の集積を進めるために、各界の有識者による「文化芸術都市創造会議」を設置したり、同本部内では「映像文化都市づくりに関する施策立案に活かすため、関係業界の生きた情報を収集する場」として「映像文化都市懇話会」も設置されている。

この懇話会は過去3回開催され、業界の課題と望まれる施策、横浜に集積を図るための条件整理などについて意見交換が行われている。昨年10月19日の第2回懇話会では「産業としては、インターネット系のメディア等はまだまだ伸びる余地があるが、そのためには映画、CM、アニメ、ゲーム、インターネットなどの業界に横の連携を生む仕組みが必要」「横浜のブランドを整理し、明確化させ、横浜らしさを考える必要がある」「横浜のフィルムコミッションの強みとして何を打ち出すかが大切」「フィルムコミッションはすぐに効果が出るものではない。ポイントは映像制作や機器等について専門知識をもつ人材がいること。またフィルムコミッション立ち上げ前に消防、警察と2年にわたって勉強会を開催している都市もあるように、役所内の認知徹底に時間をかけることも重要」「横浜は歴史的に『異文化との接触の窓口』の役割を果たしてきた。こうした観点から新しい映像を制作するメッカにしてはどうだろうか。発表の場としてのイベント開催に加え、映像制作の場となるようフィルムコミッションを巻き込んだ、循環型のイベントにする必要があろう」といった活発な意見交換がなされている。

横浜市文化芸術都市創造事業本部 映像文化都市懇話会

かつては、映画発祥の地として名を馳せた横浜。大正時代には元町に撮影所があり、撮影所を中心に多くの横浜生まれの映画が制作され、映画人が街の賑わいを作り出してきた。また、明治30年には港座で映画が上映されるなど、かつて伊勢佐木町や関内は多くの映画館で賑わってきたが、時代とともに映画産業は東京に集積していってしまった。しかし今、横浜市は「文化芸術創造都市(クリエイティブシティ)」を掲げ、映像制作・発信・交流拠点の形成を図る「映像文化都市づくり」を進め、かつての姿を取り戻そうと動き始めている。世界に誇れる映画の街として横浜が復活を果たすために、官・民・学が一体となって取り組んでいくことが求められているのではないだろうか。

弓月ひろみ + ヨコハマ経済新聞編集部

横浜メディア・ビジネスセンター 東京藝術大学大学院映像研究課キャンパスとなる旧富士銀行横浜支店 オスカー像とリチャード・エドランド氏 第12回フランス映画祭横浜2004 第26回ヨコハマ映画祭に出席した豪華映画人たち 第3回横濱学生映画祭 横浜国際映像文化祭2004
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