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幕末創業の商社が開港資料館に建築家J・H・モーガンの資料を寄託

発見された鞄を開くDKSHジャパンのペーター・ケメラー社長

発見された鞄を開くDKSHジャパンのペーター・ケメラー社長

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 総合商社「DKSHジャパン」(東京都港区)の磯子サービスセンター(横浜市磯子区)から、建築家J・H・モーガンの資料や、かつて中区山手にあった「ジェネラル病院」の資料などが入ったカバンが見つかり、4月11日に横浜開港資料館(中区日本大通3)で公開・寄託会見が行われた。

発見された日本初総合病院の青焼き図面

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 「DKSHジャパン」は、1865年(慶応元年)に横浜で創業した外資系総合商社「シイベル・ブレンワルド商会」を継承した総合商社。今回発見された資料は代々の社長にそのまま引き継がれていたもので、資料の鑑定・保存のために、横浜開港資料館への寄託が決定した。

 発見された資料は、アメリカ人建築家のJ・H・モーガンの「シイベルヘグナー・ビルディング」の建築関係資料と、日本初の総合病院といわれているジェネラル病院の関係資料や、同社の第2次世界大戦時の活動を伝える書類など184点。

 J・H・モーガンは日本に永住したアメリカ人建築家。横浜でも多くの建築に携わっており、横浜山手聖公会、ベーリック・ホール、根岸競馬場一等馬見所、関東学院中学・高校の旧本館などを設計した。モーガンは、1937年に自身が設計した一般病院で逝去し、山手の横浜外国人墓地に葬られている。

 モーガンが1935年に「シイベルヘグナー・ビルディング」の新築工事を請け負ったという記録は残されているが、その概要を記した資料はこれまで発見されていなかった。今回の見積書や設計仕様書などの発見により、工事の詳しい内容が明らかになった。この資料からは、当時のコンクリートの配合や、ドアの取っ手に使われている金属の種類など、当時の建築の実体を読みとることができる。

 また、1867年頃に横浜に建てられた外国人向けの総合病院・ジェネラル病院の設計図の青焼き図面などが見つかった。同病院はこれまで外観写真しか残されておらず、今回の発見は、建築史の上でも、当時の横浜の外国人社会を考える上でも、大きな意味を持つものとなっている。

 同館の副館長の西川武臣さんは「シイベルヘグナー社は、第2次世界大戦中も日本に残った数少ない会社。建築史のみならず、横浜の外国人社会を考える上でも非常に重要な発見となる。今年度中に資料の整理を終え、一般公開したい」と語った。

 会見ではDKSHジャパンのペーター・ケメラー社長から、横浜開港資料館館長の上山和雄館長に鞄が手渡された。

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